ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(60)新宮駅前風景。

新宮駅前にある案内センターとその向かいにある徐福公園。ここで絵葉書を書いて、孫に送る。

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市の案内図。市域は熊野川に沿って、ずっと奥深くの熊野山中にまで伸びている。

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速玉大社、熊野本宮の世界遺産を始めとして、幾つも名所旧跡がある。

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熊野本宮行のバスも何本か出ている。白浜空港行のシャトルバスも1日2便出ている。

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今日の予定は朝一番で勝浦の宿を出て、新宮市内の速玉大社にお参りし、次いで熊野本宮へ向かい、時間があればそこで温泉に入り、田辺に抜けて、駅前のビジネスホテルに一泊する。熊野本宮は熊野川の上流、熊野の山中にあり、行くには時間も掛かり不便な場所かと想像していたが、それは杞憂に過ぎなかった。矢張り世界遺産に登録された有名観光地、新宮からはバスも頻繁に出ていて、時間もそれ程かからない。場所的にも新宮と山を越えた反対側に田辺との中間地点付近にあり、本宮に参拝し、そのまま山を越えて今晩の宿、田辺に抜けるには丁度良い位置にある。

 

新宮駅前にバス停があり、次のバスは10時40分だ。丁度1時間で本宮に着く。思っていたよりも近い距離で、これならどこか本宮周辺の店でお昼も食べられるだろう。案内センターで孫へのハガキを書き、駅前のポストに投函し、バスを待つ。人口も3万に満たない小さな町で、人流も少なく静かな駅前だが、歴史は古い。観光案内板を見ると市域は熊野川に沿って山の奥の方まで続き、熊野本宮辺りで田辺市と接している。田辺は海に面した海浜都市かと思っていたが、こんな山奥まで市域が伸びているのは意外だった。いずれにしてもこの二つの市は、山奥の集落を併合し、アメーバのように市域を熊野山中まで広げて行ったのだろう。

 

隣のバス停の路線図を見ると、この駅前をスタートしたバスは、熊野本宮経由十津川村を通過し、吉野の山を越えて大和八木駅まで行っている。ああ、これが日本最長のバス路線。1日3本出ていて、それぞれ5時台、7時台、9時台。5時53分に出るバスは八木駅には12時24分に到着する。実に6時間半の乗車だ。途中休憩もあるに違いないが、これだけ長時間座り続けたら、腰もおかしくなるだろう。十津川村と言えば、何年か前に100名山大台ケ原に登った時に、町役場の前を通った。その後、十津川を襲った集中号湯で、あの周辺の道路はズタズタにされた。町役場の横をかなり水量の多い渓流が流れていたが、あの川がこの熊野川の上流に当たるのだろうか・・。今調べてみると、2009年10月のことで、もう12年も前のことになる。その時は山の仲間6人と一緒だったが、その内の一人は今回のこの旅行直前に亡くなり、一昨々日、高野山奥の院で鄭重に弔った。享年75歳。

 

2009年10月3日、大台ケ原・日出が岳1965m、第71座。
<かぎろひの 吉野の山に 秋の暮>

 

日本一長いバス路線、新宮ー大和八木駅。十津川を経由し、吉野の山を越えて6時間半もかかる。

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この町も勝浦も、串本も、もっと時間があればいろいろと回りたい場所が沢山ある。

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駅前の道路も閑散としている。ああ、バスがやってきた。あの先の山の辺りに熊野川が流れている。

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さて、これから山越えの出発だ。

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10.20(水・晴れ)阿蘇火山噴火。

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何年置きかに噴火を繰り返す阿蘇山。今日午前、突然に噴火した。当時10数名が登山中だったが、幸いに避難して犠牲者は出なかった。10年ほど前の御嶽山大爆発で30数名が一瞬の間に犠牲になったが、今回はそうした犠牲者も出ず、良かった。

 

日本の山は多くが活火山。今噴煙を上げていない休火山でも、いつ爆発するかは分からない。火山の噴火は地中のマグマの噴出だから、地震よりは余程か予測可能の筈だが、御嶽山にしても阿蘇にしても事前の予測、警報はなかった。唯一、システマティックなのは浅間山で、山中には幾つもの計測器が設置され、時々刻々の地中の変化を計測し、時々警戒警報を発したり、入山禁止を出している。

 

これ等の山は過去それぞれ登っているが、登山道の横に地中からの煙を棚引かせ、穏やかな煙は情緒的で、よもやこの場所から大噴火が吹き上げる、との想像もできず、殆ど無防備に通り過ぎるが、所々にあるコンクリート製の遮蔽ドーム等を見ると、矢張り、いつ噴火が起きても不思議ではないと、認識を新たにする。

 

今回の阿蘇は小規模で、水蒸気噴火とも指摘されているが、問題は富士山だ。宝永年間、1700年の初頭頃、元禄の世で芭蕉が活躍していた頃だが、富士山の中腹から突然に噴火が起きて、当時の人的被害はどの程度だったのか自分には知識はないが、噴き出した噴煙の結果、太陽光が妨げられて関東地方は凶作になり、その後の飢饉の原因になった、と言われている。当時の人口過疎の時代に人的被害は限られていたかも知れないが、今は当時の人口の4倍以上。富士山周辺地域にも沢山の人が住んでいる。宝永火山と同規模の噴火が起きれば、及ぼす被害は甚大で、江戸時代とは比較にならない大きなダメージを与えるだろう。富士山の直ぐ下を走る新幹線なども大きな被害を受けるだろう。裾野に建設中のトヨタ未来都市も壊滅的なダメージを受け、トヨタが再起不能に陥ることは無いだろうが、日本国に取っては大きな損失となる。

 

災害国日本。今回の総選挙では寄って多寡って給付金や補償金の大合唱で、こうした災害に備える提言をする政党はどこもない。皆災害が突然にやってきて、びっくりした顔をするが、本当はそれでは遅いのだ。11年前に三陸大災害で学んだ筈だが、政治家は忘れっぽい人種なのだろう。

 

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紀の国訪問記(59)新宮駅前の徐福公園。

新宮は隣を流れる熊野川の舟運によって発展した。熊野の木材の集積地でもあった。

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新宮駅前は、殆ど何もない。

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駅前に何かの記念碑が建っている。

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これは昭和30年代に漸く勝浦―新宮の最後の区間が開通し、紀勢本線の全面開通を記念する碑だ。広場の向こうに観光案内センターがある。

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これも又後から聞いて知ったことだが、艦船に詳しい稲さんは鉄道にも詳しく、先刻京都から団体さんを連れてきた特別仕立ての黒い列車は、JR西日本の目玉列車の一つ、観光夜行用の専用車で「銀河」と呼ばれているそうだ。JR東で言えば、「四季島」のような豪華列車で、いずれにしても庶民には高根の花だろう。

 

30-40人程の団体さんが、地元観光協会の最大の歓迎を受けて、待ち構えていたリムジーンバスに乗って行ってしまうと、駅は又元の静かな田舎駅に戻った。構内にはコンビニ店もあるが、お客が入っているかどうかも分からない程に、閑散としている。駅前も同様で、都会地の郊外駅前にあるような飲食店、パチンコ屋、飲み屋、不動産屋などの看板は見当たらない。年々過疎が進み、最近のこのコロナ禍で今やポピュラーな言葉になった「人流」が先細り、駅前だからと言って、人の賑わいは全く感じられない。

 

ちょっとした広場の先には観光協会のビルがあり、その向かいに中国風の建物がある。徐福を記念する建物だ。秦の始皇帝が中国を統一し、歴史上最初の皇帝として君臨し、自ら始皇帝と名乗ったのだが、その始皇帝山東省泰山で封禅の儀を行ったのは紀元前219年の事。山東省は周囲を海に囲まれていて、北には雲台、南には青島という昔からの良港があるが、その泰山からは海は見えない。ただ海に近い場所だけあって、海の向こうのまだ見ぬ国の話も伝えられただろう。その一つに蓬莱国があり、そこは人間社会の楽天のような場所で、不老長寿の薬草もあると言う。行くのは大変だがその薬草を得られれば、不死が得られると。

 

酒池肉林、現世世界で何でも手に入れられた始皇帝に取って唯一コントロールできないものは自身の死であり、その薬草を得られれば、永遠に皇帝でいることができる。そこで、方士の徐福に命じ、その薬草を求めるべく蓬莱国へ遣わした。その時3000人の従者を与え、大船団を組んで海の彼方の蓬莱国へ行かせたのだ。その蓬莱国こそ今の日本のことで、3000人からの徐福船団は各個に枝分かれし、日本の各地に上陸し、今も尚九州、四国、京都、紀伊、山梨の富士等にその伝承が残っている。この紀伊の地、新宮にも徐福伝説が残っていて、今新宮駅前に綺麗な公園が出来ている。

 

熊野本宮行のバスの時間までにはまだ大分時間もあり、その公園に行って見る。しかしここも又コロナ禍で閉園中。柵の外から中を眺めるだけだった。伝説によれば、熊野川に上陸した徐福は、今のこの場所に居を構え、3年居住した後、更に北上し、漸くにして駿河の富士山、即ち蓬莱山に至ることができた、と言われている。徐福。弥生時代に先駆ける数百年前、原日本の国造りに各方面で影響を与えた人物かも知れない。公園が閉まっていたので、観光センターに寄って絵葉書を求め、その場で孫の二人にハガキを送った。

 

案内センターの前に中国風の建物がある。

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ああ、徐福公園だ。この町は有力な徐福伝説の町だ。

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残念、コロナ禍で公演は閉鎖されている。

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徐福はこの場所に3年間住んでいたとの伝承がある。

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10.19(火・曇り)衆院選公示、投票に困った・・・。岸田小粒内閣の総選挙。

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衆院選公示日と同時に投票用紙が選管から送られてきた。困った・・。東京18区は小金井、府中、武蔵野の3市だが、小選挙区は入れる人がいない。自民から長島、立憲から菅、他に泡沫候補が一人。前回は自民から土屋が出たので、彼に入れたが、今回は出ない。菅には元々入れる積りはないから、そうすると自民の長島になるのだが、今期に関しては自民には入れたくない。自民にはお灸をすえないと示しがつかない。比例区は公明に入れるので、投票所には行くが、小選挙区はどうしようか・・。いっその事白紙を入れようか・・。以前、何かの時にそうしたこともあった。ただそれでは芸がない。自民にも菅にも入れたくないとすれば、その泡沫候補に入れてやろうか・・。全く一騎打ちの構図は、選挙民の選択肢を狭めることになる。

更に問題なのは同時に行われる最高裁判事の審判で、誰がどういう人かは全く分からない。眼クラに判断させるようなもので不親切だ。これでは投票率が20%そこそこになるのは当然だ。この際、最高裁判事審判には、各判事の①憲法改正賛否、➁死刑の賛否、➂今話題になっている夫婦別姓、等の項目について、各人の賛否を名前の下にも付けてもらえば、投票者としても、適切な判断ができるのだが。。、次回からはこうした形で、各裁判官の主張、考えを明らかにしてもらえれば、より正しい審判が可能になるのだが・・。これも又、日本は100年経っても変わらないか・・。

いよいよ今日から選挙が走り、市場も奔る。

 

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紀の国訪問記(58)新宮駅へ。

速玉大社に真っすぐ伸びる道は、昔の参詣道のようだ。この道路の奥に大社が鎮座している。

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周辺は住宅地で、落ち着いた雰囲気だが、こんな昔風の漢方薬店もある。

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市内バスの路線図。昼の時間、バスは疎らだ。

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バスに乗って5分程、新宮駅にやってきた。昔風のワンパターンの駅ビルだ。

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後で分かったことだが、速玉大社から新宮駅までは歩いて15分程度。自分の足でもゆっくり歩いて20分程度、とのことはバスに乗って駅まで行った時に理解できた。スマホで地図検索すれば容易に分かることだが、何故かスマホを取り出して、小さい画面で検索するのが惑わしく、そのままバスを待った。田舎のバスで利用者も少なく、30分も待たされることになったが、まあ、待つことは自分自身の骨休みにもなる。願わくば、バス停の前にベンチでもあれば大感謝するのだが、それは欲張り過ぎだ。

 

この周辺は落ち着いた住宅地で、この町の中流以上の家族が住んでいるようだ。佐藤春夫もこの辺りのどこかで生まれ育ったのだろうか・・。後年慶応大学に進学するが、鉄道が開通していなかった当時、上京するのも大変なことだっただろう。バス停の前に紀陽銀行の支店があり、土曜日なのに裏の駐車場に車を停め、行内のATMでお金を下ろして出て行くかなり頻繁な人々を見ている内にバスはやってきた。駅までは2停留所。5分程度だった。矢張りこれが最初から分かっていたら、長い間待つこともなかった。

 

新宮駅は、嘗ての地方中堅都市の同じようなタイプの2階建てコンクリ造りの駅ビルで、多分ワンパターンの設計だろう。今はもうどこも近代的な駅ビルに建て替えられているが、ここ新宮はそのRenewalの波から取り残されたような感じだ。確か40年前の和歌山駅も、規模の大きさは異なるが、こんな感じのコンクリートの2階か3階建てのビルだった。紀勢本線が和歌山から三重の亀山まで全面開通したのは昭和30年代で、その時造られた駅ビルはもう既に60年は経っている。南紀では中心の駅で、和歌山からはここまではJR西日本が管理し、ここから東の線路はJR東海が管理し、上手に棲み分けられている。折から丁度京都駅からの直通特急が到着する処。熊野三山の古典的な衣装を纏った地元観光協会の美人のモデルさんが、遥々京都からやってきた観光客を歓迎していた。

 

丁度これから京都からに観光客がやってくるとのこと。

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観光協会のモデルさんが、昔の衣装を着て、歓迎する。

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京都からの特急がやってきた。

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このコロナ禍で、町の人にとっては、喜ばしい、待ちに待ったお客さんだ。

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10.18(月・晴れ)可哀そうな眞子さん。

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親のいう事も、周りの人の言うことも全く聞かずに、真っすぐ一直線に結婚に進んで行った眞子さん。自ら飛び込む世界、将来の窮地、困窮は自ら引き受けなければならない。来年で30になる女性、それは当然分かった上での行動だろう。

今日二人は両親に挨拶し、明日は眞子さん一人で、祖父母の上皇様に報告に行く。上皇に取っては初孫。どれ程可愛がり、慈しみ、育ててきたか・・。だが、そうした親の愛情には気が付かず、詐欺師まがいの母子の甘言に目がくらみ、物事も正しく判断できずに、荒海に飛び込んだ。両親、秋篠宮家は家同士の交際はないと断言。勿論、両家の結婚式も行われない。陛下の初孫。本来なら国の内外から大勢の賓客を招いての、盛大な華燭の儀が行われて然るべきなのだが、誰からもお祝いもされず、冷ややかに遠目で見られ、家を出て行く。可哀そうな眞子さん。最後まで正しい判断ができなかった。

来週の火曜日、26日、正式な婚姻届けが区役所に出されるという。そうとしても親子の縁は切れる訳ではないので、両親は暖かく見守ってもらいたい。いつか目が覚め、両親の元に戻ることがあれば、暖かく受け入れてもらいたい。一時の盲目であったということが、いずれ本人にも理解できる時が来るだろう。

 

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紀の国訪問記(57)熊野三山速玉大社。

  • 速玉大社の中門を出る。

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    • 中門の前には天然記念物のナギの木が巨体を見せている。平重盛お手植えの木だ。

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境内は樹木が生い茂り、緑も深い。摂社も多い。

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  • 宝物館、熊野神宝館には1000点を越える国宝、重文が収納されている。

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右手が宝物館、左手がナギの木。宝物館の前には弁慶像が立っている。

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熊野三山は昨日参拝した熊野那智大社、それから今参拝している熊野速玉大社、それとこれから向かう熊野本宮大社の三所を指し、平安時代、歴代の上皇が競って参拝に訪れたことから、この三所には何らかの霊験があるものと信じられてきた。その様子は蟻の熊野詣とも言われるほどに人気も高く、今から1000年以上の前に日本では既にこうしたツーリズムが出来ていた。それ以前から行われていた四国八十八所お遍路は、個人の宗教心による単発的なものであり、ツーリズムと言えるものかどうか自分には判断が付かないが、日本人のこうした中世からの旅好きは、江戸時代の伊勢神宮参拝、お蔭参りの伊勢講で最高潮に達した。中世ヨーロッパで行われるようになったサンチャゴ巡礼の旅の数百年も前の出来事である。これは大いに世界に誇るべきことである。

この新宮の地名は実にここに速玉大社が創建されたことにあり、元々この大社は山の際の神倉神社にご神体が祀られていたものが、景行天皇の時代にこの場所に遷座し、この場所が神倉に対し、新宮と呼ばれたことに由来する。熊野三山の中で、一番新しい宮だから新宮と呼ばれた訳でなく、この三山、熊野三所は皆対等だ。どちらが上とか下とかはない。ここに祀られている主祭神伊弉諾伊弉冉だ。日本国造りの祖神である。

紀伊の国の名前についてその由来は自分には分からないが、この紀伊の紀は、基本の基に通じているものではないかと自分は思っている。紀の国、即ち基の国。それは九州高千穂の地から神武の東征が始まり、この地に上陸し、山を越え、新たな国、大和まほろばを創いた基の地、に由来しているものと考える。紀伊の伊は単に紀とするよりは、伊を継ぎ足しすることにより、言葉の音調を整える、と言われているが、自分はそれには賛成できない。伊豆の地名の由来は分からないが、伊豆半島の先端の小島には三島大社の古社があった。神代の時代、伊豆の伊には何らかの意味があったものと思う。更にその先の房総半島の根元部分には香取、鹿島の二つの神宮がある。昔は常陸が大和の最北の辺境だった。その地に二つの神宮が存在する理由も、自分にはよく分からない。九州の地から北上した大和民族は大和まほろばに国を造り、更に北上し、伊豆を中継地として更に最北の地が常陸だったのか・・。和歌山市内にも神宮が二つあることは、気になることではある。

拝殿に参拝し、その境内に幾つかの摂社が並んで建っていたが、その一々に参拝する時間も無く、中門の前で境内の落ち葉を掃除していた神職にお願いして写真をとってもらい、宮を後にする。その中門の前に大きな巨木があり、これは天然記念物の熊野ナギだ。ナギは梛と書き槙の種目だが、樹齢1000年を越える古木はこの宮の御神木となっている。那智大社の大楠と同じだ。ナギは海の凪に通じ、航海の安全、旅の安全のお守りとして古来より参詣者に求められていた。これも又丁度サンチャゴ巡礼の旅のシンボル、貝殻シェルの二枚貝と同じような位置づけだ。今眼前にあるナギの木は今から1000年程前、平重盛が社殿造営の際の記念植樹で、平家は滅んで久しいが、宮も御神木も、世の移り変わりを越えて今に存在している。上皇法皇の熊野詣はもう既に遠い過去の歴史イベントになってしまった。

先刻入った大鳥居の出口に向かって進んで行くと、左手に宝物館がある。この中には数々の国宝、重文が収納されているが、このコロナ禍で博物館、美術館はどこも閉館中だ。宝物館の前に弁慶の像が立っていたが、武蔵坊弁慶紀伊田辺の生まれで、熊野別当の僧兵だが、昨日田辺駅に降り立った時、駅前に大きな銅像が建っていた。更に大鳥居近くには八咫烏神社もあったが、八咫烏はこの熊野三社の神鳥だ。境内には又佐藤春夫の自宅も移築されて残っていたが、自分には余り縁のない作家、そのまま元のバス停に向かった。

 

宝物館、熊野神宝館には1000点を越える国宝、重文が収納されている。

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大鳥居の内側には、左手に手力男神社、右手に八咫烏神社が建っている。

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サッカー、サムライJのシンボル、八咫烏を祀っている。

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大鳥居を後にして、新宮駅に向かう。

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