ちゃおチャオブログ

日々の連続

秋の札幌4日間(4)マッサンのニッカ蒸留所での昼食。

明治の終わりころに建設されたニッカウヰスキー蒸留所。歴史を感じる。

 

この工場全体が重文になっている。

 

工場裏側にタクシーで回ると、フリーゾーンは公園風に手入れされている。

 

 

余市駅前には食堂らしき看板も見えず、目の先にニッカの蒸留所があり、その中なら何か食事にはあり付けるだろうと向かったが、入り口の係員に入場を止められる。何かこの工場見学には事前の予約が必要で、20-30人位を1グループにまとめ、工場を案内している、とのことである。この場で、次の予約を入れることも可能だが、予約はかなり詰まっていて、その順番が来るまでには1時間以上待たなければならい。お腹も空いてきて、そんな先までは待てない。係員に聞くと、工場の裏側に予約なしで入れるフリーゾーンがあって、そこにはレストランもある、とのことである。

 

かなり広い蒸留所だ。工場をぐるっと回って裏側に行くのは大変だ。タクシーで行くことにした。呼んだら直ぐにもやってきた。工場裏手は綺麗な公園のようになっていて、一般に開放されている。駐車場も広々取ってあって、車でやって来る人には便利だ。その駐車場の直ぐ前にニッカ直営のレストランがあり、観光、見学は後回しにして、早速レストランに入る。中々お洒落な店で、中で働いている若いウエートレスも愛想が良い。

 

先ずはビールで喉を潤し、美味しいランチを頼み、折角ここへ来たのだからと、ニッカの水割りをもらう。工場直送のニッカウヰスキー、スーパーで買うのよりも格段に美味しい味覚だ。ただ飲み過ぎてこの後に控える構内見学に支障が出る恐れもあって、皆さん、1杯で留めた。楽しいランチオンでお腹も満ちた。さて、フリーゾーンにある幾つかの施設の見学に出かけよう。

 

見学は後回しにして、先ずは食事だ。

 

ランチを頼んだら、値段以上の味覚だった。

 

ウイスキーの水割りも美味しかった。

 

ああ、ニッカウヰスキーのオンパレードだ。

 

米国女優ケートが演じたマッサンのスコットランド人妻の写真も掲げられている。

 

7.26(金・晴れ)OB会。

 

 

昨夜は大手町地下の北海道でOB会。年2回。去年の暮れに行って以来の半年ぶり。前回服先生は三重の法事で参加できなかったが、今回1年ぶりにお会いする。もう90を2‐3歳越えている筈だが、お元気だ。相変わらずゴルフをやっているとのこと。但し、もう歩くのは大変で、カートで回っているとのこと。しかしそれにしてもお元気だ。

 

心臓にペースメーカーを埋め込んだ高さん、病人とは思えない元気さだ。但し、アルコールは禁止されていて、ノンアルで気持ちよさそうにしていた。服先生も同様。段々歳相応にノンアルが増えて来るのか。前回欠席の松さんも1年ぶり。80を過ぎているが、前よりも若くなった感じだ。人の生き方、元気に歳を取るのが最高だ。

飲み放題で、北海道の店だけあって、ニッカのダブルが美味しく、大さんと一緒にダブルロックを何杯かお変わりする。楽しい3時間だった。

 

返り、丸ノ内線荻窪に出て、地上に出た直ぐの所に沖縄飲み屋があって、以前は気が付かなかったか、無かったか・・。急な地下への階段だったが、立ち寄り、島ラッキョウ、ラフテイ等肴に菊の露を飲む。ウイスキーも良いが泡盛も侮れない。マスターは宮城塩釜の出身だったのは意外だった。

 

 

7.25(木・晴れ)LC、強制売却400万が瞬時に消える。

 

 

ついに来るべきものが来た。夜のOB会に向かう地下鉄の中で、LCが執行される。4時53分、強制売却の通知が届く。総額406万900円。一時は530万からあった資金は僅かに353,200円になった。この1週間、LCを避けるために資産圧縮を繰り返してきたが、最後に残った現金は僅かに1割にも満たない。危険水域に入り込む前に何回か全決済をするチャンスもあった。今思えば、もっと早い時期にやっておくべきだった。今更悔やんでもやむを得ない。

Better Than Nothing. 手持ちがゼロにならずに済んだ。少なくともまだ35万残っている。この35万を10倍にすれば350万。新たな夢の挑戦に立ち向かおう。

 

 

77.24(水・晴れ)ドンずまり。

 

 

日中、今日も又突然の雷雨。午前中は快晴の空、昼頃から急に雷鳴が響きだし、追いかけるようにして豪雨。急いで2階の窓を閉める。そんな雷雨も1時間もしない内に去って行って、又晴れて来る。モームの小説の中の驟雨。東南アジア的な気象になってきた。

 

ニッチモサッチモ行かない状態。Stale Mate,打つ手なし。今朝は又40万からの追証。昼過ぎ、円高が1円以上進むと、円高は全通貨に波及。LCまで残り10万にまで迫る。先週まではLCも120万程あったが、毎日資産圧縮をし、今では73万まで落ちてきている。このまま黙ってLCを待つか、今ならまだ10万程の余裕がある。バンバン損切をし、漸く回復。今日だけで80万の損切。つい先週は530万の資産があったが、今日は430万まで低下。約200万を失った。あっという間の1週間。LCは受けなかったが、今は35万まで落ちてきている。このまま水準を下げて行って、最後にはゼロになるのか・・。

 

株式も最悪。前場は上げるがその直後に下げに転じ、6日連続の下げ。今日も400円以上下げ、ギリギリ39,000円をキープ。もうは未だ、まだはもう、全く翻弄される東京市場。あっちもパンク、こっちもパンク。どっちもこっちも、にっちもさっちも行かない状態だ。今日は土用の丑、かば焼きでも食って、苦境を乗り切ろう。

 

 

秋の札幌4日間(3)マッサンの舞台、余市へ。

新千歳空港、時刻通りの10時10分着。コロナが終わって国内便の本数も増えている。

 

コロナも終わり、人流も増えて来た。良い事だ。

 

今日は先ず電車に乗って小樽―余市に行くことにした。

 

 

稲さんの提案で、初日の今日は電車に乗って真っすぐ余市へ行くことだった。余市と言えばニッカ工場。何年か前NHK朝ドラで人気を取ったマッサンの舞台だ。自分も以前新千歳から急行に乗って札幌を通り越して小樽まで行ったことがあった。何年か前か忘れたが、それは山登りではなく、札幌に用事があって、時間があったので先に小樽観光をしたのだ。今回はその小樽も通り越してその先の余市まで行く。

 

空港で少しもたつき、小樽行急行に乗車できず、札幌行の電車に乗って、乗り換える。途中、千歳や北広島の町の郊外を通るが、この辺り、IT最先端企業がやって来たり、札幌ドームに代わる新球場、エスコンフィールドなどが出来たりして、注目を浴びていて、目を凝らして窓の外を眺めたが、それらしいビッグプロジェクトの建設用地などは見当たらず、余り変わり映えのしない風景だった。

 

札幌駅では次の小樽行に乗り換えたが、ここまでの空港線はまあ普通の郊外型電車だったが、小樽線になると如何にもローカルの電車だ。4両編成で乗客も少ない。小樽で更に長万部線に乗り換え、一つ先の余市に向かう。余市と小樽もは隣通しの町だ。長万部線は更に貧弱な2両編成のローカル線で、エレベーターは無かったが、2‐3人乗りの小型のエレベーターがあって、乗換えには助かった。小樽湾の海外線に沿って約10分、10月の既に黒みがかった湾の向こうに沢山の風車が並んでいた。

 

小樽からが20分も掛からず余市に着いた。元々少ない乗客。駅で降りたのは我々4人以外にほんの数人、3-4人か。これだけ大きな駅でも無人駅になっていた。北海道の鉄道は斜陽だ。どんどん廃線になって、路線は縮小していく。地元民に取ってはこうして1時間に数本でも電車が走っていることがありがたい。が、如何せん、客が少ない。

時間は既に1時を回っていたが、駅前には食事できるような店も見当たらない。駅は既に町の中心ではなくなっていて、駅前商店街とか駅前通りなどはもう過去のものになっている。人々は必要があれば車で買い物に出たり、食事に行くのだろう。駅の目の前にマッサン工場、ニッカウヰスキーがある。そこへ行けば何か食事にはあり付けるだろう。工場に向かった。

 

札幌、小樽と2回乗り換えて、1時過ぎ、漸く余市駅に着いた。

 

駅前は人通りも少なく、食堂らしき店は見当たらない。

 

ああ、前方にニッカウヰスキー、マッサン工場がある。そこへ行こう!中に食べる所位はあるだろう。

 

7.23(火・晴れ)貴景勝、もうダメだ。

 

先週土曜日、関東地方を強烈な雷雨が襲い、自宅のテレビも瞬間切れたが、直ぐに復旧した。昨夜も土曜日に劣らない稲妻と雷音。空気を振り避ける。日中気温が毎日高く、激しい雷雲が生じるのだ。日本の夏は最早、東南アジア並みか・・。

 

10日目の大相撲。貴景勝、阿ビを押し出したとして軍配が上がったが、物言いが付き、行事差し違いで、破れる。もしも軍配通りに勝っていたら5勝5敗で、勝ち越しにも望みを繋げたが、今日の6敗で、残り5日間、4勝1敗の成績を残さないと、大関陥落。大関陥落して平幕で相撲を取っている元大関も何人かいるが、誇りの髙い彼にそれが耐えられるか・・。負け越し、引退ということにならないか・・。

 

それにしても見違えるような、強さを見せている横綱照ノ富士。負け知らずの10連勝。この時点で、既に優勝は決まりだ。気の持ち方。精神力の強さ。気力は体力を上回る強さを見せている。番付最下位から這い上がって、大関に復活し、更に横綱白鵬引退後、綱を一人で背負っている。正に超人の働きだ。

 

 

7.22(月・晴れ)偉いぞバイデン! 名誉ある撤退。

 

 

朝5時、テレビを付けると、バイデンのニュースが飛び込んで来た。米国日曜日午後の時間、踏ん切りの悪かったバイデンが大統領選には出ないとのビッグニュースだ。5日間のコロナ自宅待機で、家族とも話し合い、行く末を考えたのだろう。・・この歳ではもう戦えないと。91歳になるご老体。飛行機のタラップを上り下りするのも一苦労だ。

 

偉いぞバイデン! よく決めた。来月の民主党大会にはカマラを推薦するという。ここへ来ての撤退表明。自分でも勝てないと思ったのだろう。現職大統領が選挙に敗れるという不名誉な結果を事前にカットしたのだ。英断だ。

 

太平洋戦争時、日本は踏ん切りの付かないままズルズル戦争を長引かせ、結果、300万人の同胞を失い、原爆まで投下された。昭和18年、サイパン陥落時点で、日米の戦力の違いは歴然で、戦い続けても勝てる戦争ではなかった。戦争を止めるという、決断する指導者は日本にはいなかった。結果、多くの人命を失うことになった。

 

同じように踏ん切りの付けられない男がここにもいる。FXではずるずる敗戦処理を重ね、リセットすることができない。400万からの評価損を抱え、いつLCになるか分からない。今リセットすれば少なくとも150万程度の元手は残る。しかしそれが出来ず、毎日損切。毎日資産を減らし、多分、最後はLCだろう。往生際の悪い男の見本だ。