ちゃおチャオブログ

日々の連続

四国霊場最後の巡礼(10)次の霊場、神恵院、観音寺へ。

  • 駐車場の正面には二つの霊場が仲良く並んで案内されている。

    f:id:commodore:20201127220612j:plain霊場山門だ。この山門は神恵院、観音寺、共通の山門になっている。

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    • こちらの仁王像も先刻の大興寺同様、迫力がある。

      f:id:commodore:20201127220751j:plain共通の境内で、左手が神恵院

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    • 大興寺山門の凄い形相の仁王像に見送られて、次に隣町観音寺市にある第六十八番神恵院、第六十九番観音寺に向かった。この二つの霊場は同じ敷地内に併存している。元々は別個の場所に所在していたが、明治の廃仏毀釈神仏分離令によって、琴弾山上にあった神恵院は山上の宇佐八幡宮分霊の琴弾八幡宮と分離され、この山の麓にあった観音寺境内に本殿を移した結果、二つの霊場が併存する形となった。開基は二つの霊場ともに、法相宗の高僧・日証証人と謂れ、大宝3年(703年)とのことである。今年の6月愛媛(伊予)を巡礼したが、久万高原の山中に第四十四番大寶寺を参拝したが(愛媛(伊予一国)ドライブ巡礼(33)四国霊場第四十四番札所大寶寺に参拝。https://4travel.jp/travelogue/11637777)、この三つの霊場は丁度同じころの創建である。所謂、天武天皇による大宝律令が発布された頃のこと、弘法大師が活躍した時代よりも凡そ100年ほど前のことである。

    • 香川は四国4県の中では面積は一番小さいが、人口は愛媛に次いで2番目に多く、その密度は愛媛の倍、高知の4倍程の人口密度になっている。従って市町村が密接していて、恰も東京都下とか大阪府下のように、中小の都市が隣り合わせに密着していて、三豊市にある第六十七番大興寺からここ観音寺市にある第六十八番神恵院までは10キロも離れていない。車で20分程度の距離だ。駐車場の正面には大きな一つのカラー看板に二つの霊場が仲良く案内されている。事前のガイドブックでは、2つの寺が近いことは近いが、それぞれ別個の境内を持っているかと理解していたが、ここへ来て、2つの霊場は全く同じ境内にあり、山号も又七宝山で全く同じ。それは比喩は悪いが結合双生児、シャム双生児のようにも思えた。

第六十八番神恵院(じんねいん)。山門は観音寺と共通のものであり、中の仁王像は先の大興寺同様、荒々しい形相で、悪人は入山できそうにない。先の大興寺の半分ほどの石段を登った先が境内になっていて、2つの霊場は左右に鎮座している。右側が観音寺で、左側が神恵院。愛媛の今治南光坊という「寺」を使わない珍しい霊場があったが、ここも「院」と称して、寺を使用していない。寺と名の付かないの霊場は八十八ケ寺の中でこの2ケ寺だけだ。何か歴史の中に埋もれた知られざる歴史があるのかも知れない。

 

神恵院本堂は随分モダンな感じのコンクリートで覆われている。

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博物館のような中に入っていく。

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コンクリート覆の中には本堂があり、ご本尊阿弥陀如来が祀られている。

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その向かいには交通安全の地蔵さんが祀られていた。

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左手の神恵院は真っ白のコンクリ箱のような感じで、お寺とは思えない、というか随分垢抜けた感じの博物館のようにも思える。誰のデザインか、薄暗い入り口を入り、少し階段を上ると正面に本堂があった。そこの部分は外光が差し込んできて、薄暗い中に何か幽玄な感じがする。ご本尊は阿弥陀如来だ。自身の誕生仏。オンアミリタテイセイカラウン。自分の命・誕生にに感謝した。

11.27(金・曇り)だらしない巨人軍。毎日新聞のトンチンカン。

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日本シリーズ、去年に続き、今年もSBに4連敗。去年から続きSBには1勝もできず、8連敗となった。原監督も魔物に取りつかれた感じだ。第2戦などシリーズワースト記録になる大敗。13-2で滅茶苦茶な負けっぷり。天下の巨人軍、どうしたものか・・。王と原は子弟の関係。全く先輩の前に手も足も出ない感じで、シリーズは終了した。

 

昨日の毎日新聞夕刊は滅茶苦茶だ。マラドーナは世界的に有名なアルゼンチンサッカー選手であり、彼の突然の死に国は3日間の喪に服するとのこと。かの国の英雄であればこそ、有りうる話だ。

処が、昨日の毎日夕刊には1面の前面を潰して、マラドーナの死を報道している。毎日の読者にマラドーナの存在感がどれ程大きく、1面前面を埋める程のニュースバリューがあるというのか! 編集主幹の頭がどうかしているとしか思えない、記事のバランスだ。毎日を取ってから来月で1年になる。そろそろ別の新聞に変えて行こうか・・。

 

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四国霊場最後の巡礼(9)第六十七番札所、大興寺仁王像など。

この寺は東大寺の末寺として、最長と空海、2師を祀る天台宗真言宗、2派が同居している珍しい霊場だ。

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参道の脇には大師お手植えの萱と楠の大木が守られている。

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  • 香川県天然記念物の大萱だ。

    f:id:commodore:20201126225149j:plain隣には大楠も守られている。

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    六十七番札所大興寺は案外賑やかなお寺だった。町に近く、県道からのアクセスも良く、簡単に来られるのかも知れない。この寺で「真綿の花」を見たのは収穫だった。初めての経験だ。米国での綿花栽培の写真、映像を見たことがあるが、黒人労働者が一つ一つその白い綿の花を摘み取る情景が思い出される。真綿は綿花とは違うが、同種だろう。暖かさは格段に違うが・・。しげしげ真綿の花を眺めていると団参の人達がやってきたので、この寺を後にする。

  • 鬱蒼とした石段の横に自生している大きな木は、県指定天然記念物のカヤで、樹齢は1200年、木の高さは20mを超える。更に高いのは樹齢700年の大楠で、この2本の古木が並んで立っているので、この参道を一層薄暗いものにしている。楠は萱よりも成長が早く大木になるのか・・、大三島の神社の前の何本も重なった楠の大木を思い出す。カヤもクスも弘法大師お手植えと言われるが、クスの方は代替わりしたものか。この参道のどこか周辺に種田山頭火の句碑があるとのことだが、探すのも面倒で、そのまま山門の仁王像を見に行く。

  • 伝運慶作仁王像。寺を守り、山門で睨みを利かせ悪人を寄せ付けない仁王像の形相は、正しくリアルだ。1200年前、700年前の信心深い人々がこの仁王を見れば恐れおののき、悪人は後ずさりしたに違いない。この像は鎌倉初期、正に運慶が各地の寺で活躍していた時代で、この大興寺東大寺の末寺として建立され、この山門に運慶像があっても不思議ではない。運慶彫像との明確な証拠がないから「伝」となっては7いるが、工房を持っていた雲慶派の誰か高弟が朔像し、最後に運慶がお墨付きを与えたのかも知れない。全く具象的なリアルな彫像だ。

 

古木がこの寺を支えている。

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参道の先、山門には四国一の仁王像が睨みを利かせている。

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伝運慶作、仁王像。

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3mを越える巨大な仁王像で、四国一の大きさだ。

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11.27(木・晴れ)NYD3万ドル超え。

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今日はThanks Giving Day、感謝祭で、昨日は久しぶりにトランプもTVに移り、七面鳥を撫でていたが、株式市場は休場。球場前の一昨日、NYDは3万ドルを超えて引けた。この処の激しい上昇だ。僅か4年少し前の17年1月、ダウは2万ドルを超えたが、それから4年も経ないで3万ドルの大台に達した。当時の日本はNYが2万ドルで、東京は2万円といった感じだった。日本が2万円台をちょろちょろしている間にNYはどんどん先に行ってあっという間に3万ドル。GAFAが市場を引っ張っていると言われている。日本には、そうしたGAFAが存在していない。世界に置ける日本の地位は年々低下している。政治、政策が悪かったのだろう。

ただ世界の市場はパラレルだから、日本も遅ればせながら3万円の大台に向かって、進んでいくだろう。Monetary,金融相場は実体経済を他所に、金回りだけが回転していく。乗り遅れてはならないとブームになり、皆んな乗った時に、そのバブルは弾ける。過去人類が何回も経験してきたことだ。さてNYD,次の4万ドル超えはいつになるか・・。

 

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四国霊場最後の巡礼(8)第六十七番大興寺に参拝。

  • ロープウエイで下る途中、雲行きが少し怪しくなってきた。

    f:id:commodore:20201125220035j:plainロープウエイ駅の横からは雲辺寺への登山道があった。歩くと2時間位はかかりそうだ。

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    • 雲辺寺の麓の町、三豊市の郊外にある大興寺にやってきた。ここの仁王像は運慶作と伝わる。

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      • 本堂までの数十mは深い木立になっている。

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        • 石段を登った正面に本堂がある。

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雲辺寺からのロープウエイで下り降りると、広い駐車場には先刻よりは大分車も増えていた。行くときに乗り合わせた二組の夫婦は、一組が岡山から、もう一組は大阪府下の寝屋川からやってきたと言っていたので、朝早く自宅を出て、海峡の大橋を渡って来れば、2時間程度で来られるのだろう。お遍路で無くても標高が高いから見晴らしも良いし、紅葉の名所になっているのかも知れない。そうした観光気分の参詣者が長大橋を渡ってやってくるのだ。それでも300台程止まれる広い駐車場は、ロープウエイ駅周辺に数十台駐車しているだけだったが・・。

今度は道を間違えて狭いミカン農道に入り込まないように気を付けて運転し、県道の広い道路に出て、次の霊場第六十七番大興寺に向かった。この寺は雲辺寺の麓の町、三豊市の郊外にあり、ロープウエイ駐車場からだと30分も掛からない。ナビは便利なものだ。前回愛媛では使い慣れてなくて、設定を間違えて随分と大回りして、無駄な時間を浪費したが、香川はもともと狭い県で、最初から高速道は使用しない設定にし、昨日も今日も間違えることはなかった。お寺の電話番号一本で、ルート検索してくれるので、本当によくしたものだ。

大興寺は県道から数百m山裾に入った場所にあり、寺の前は山間の狭間田になっている。江戸時代、いやそれ以前から続いている同じような風景だろう。この風景は数百年変わらない。のどかな田園の中に、この寺だけは鬱蒼とした木立の中にあった。こんもりとした木立の中に静まっていた。それ程変哲のない山門ではあるが、中の仁王像は運慶作と伝わり、四国では一番大きい。仁王さんを見るのは後にして、先ずは深い木立で薄暗くなっている参道の石段を登って、本堂に向かう。石段を登った直ぐの右手に鐘楼があり、先ずは鐘を撞く。前回愛媛までは鐘の撞き方はまちまちで、むしろ参拝が終わって下山する際に撞いたことが多かったが、それは間違いで、寺に入り、お参りする前に撞くものだと知り、先刻の雲辺寺もそうだったが、香川からは先ず鐘を突き、次いで参拝することにしている。

深い森の中の石段を登った先の境内は樹木も少なく、それ程広くはないが、境内は見晴らしも良く明るく、広々した感じに思えた。鐘楼の正面に本堂があり、その隣に大師堂が鎮座している。二つともコンパクトな感じだ。本堂の階の横に白い綿毛の鉢植があって、珍しく、本堂にいた和僧に聞くと、それは「真綿の花」とのこと。はあー、これが真綿か・・。初めて見る真綿の花。江戸時代まで人々はこの花を摘み、暖かな真綿の布団を作っていたのだ・・。古い各寺にはいろいろと珍しい樹木が生えているが、この寺の珍木はこの真綿だったのか・・。何枚か写真に収め、次の大師堂に参拝した。

 

町に近いせいか、参詣者で賑わっている。

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  • 本堂の横に珍しい白い花の鉢植えがある。

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    • 寺の若僧に聞いたら、真綿の花とのこと。

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      大興寺本堂。

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      本堂の並びに大師堂が建っている。

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11.25(水・曇り)三島由紀夫後の50年。

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あの事件は衝撃的だった。自衛隊市ケ谷台の司令官室の外のバルコニーに立って集まってきた自衛隊員を前に渾身の熱弁を振るい、その後部屋に入って恰幅自殺した。森田必勝が介添え役で、打ち首にした。50年前の今日で、衝撃的なニュースは日本中を駆け巡った。元々三島がここの場で自決する積りであったのかどうかは、遺書がないので不明だ。ただ2階のバルコニーから決起文を自衛隊にばら撒き、自衛隊員の奮起を扇動したが、皆冷ややかな態度で、中には冷笑する隊員もいた。彼の落胆の気持ちは強かっただろう。

この1年程前、川端康成が日本人初のノーベル賞作家となった。三島は当然自分が最初のノーベル作家になる筈だと自負し、国民の多くもそう見ていた。しかしノーベル選考委員は三島の精神性よりも川端の東洋的な美を選んだ。川端も多分苦慮していたのだろう。その半年後、鎌倉の自宅で自殺した。

三島がこの川端の自殺に誘発されたとは思えないが、影響はあったかも知れない。それが余りにも突然だったのは、彼の最後の書作豊饒の海が最終の章、五人五衰の最終場面に差し掛かっていたが、最後まで書ききらずに、遺作となった。主人公の弁護士松枝はのぞき見が趣味で、最後はその趣味に回帰した。それは三島の最初の小説、仮面の告白と同じ構図だった。

彼が限界を感じ、自決に至ったのは、自衛隊員に見る戦後日本人の精神の堕落、腐敗を絶望したとも言われているが、自分には真の決意の程は分からない。

50年前、自分はまだ24歳であったが、三島の美文調の小説には好んでいた。だから彼が当然最初のノーベル賞作家になると思っていた。この事件の直後、当時中野に住んでいた自分のアパートに何人か集まり、三島論を戦わせた。中に2つ先輩の上智出身の男がいて、半狂乱のような興奮ぶりだった。あれから50年、あの男ももう生きてはいないだろう。45歳で死んだ三島。もしも彼がまだ生きていれば95歳。義兄が91歳だから、生きていてもおかしくない。

 

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四国霊場最後の巡礼(8)雲辺寺毘沙門天像展望塔からの眺め。

雲辺寺を後に、裏山の毘沙門天像に向かう。

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毘沙門天像は巨大な立像だ。

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内部はループ状のスロープになっていて、車椅子でも上に上がれる。

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  • 高さ6-7mの塔の上からは四国内陸部の山並みが見える。この方角に石鎚山がある筈だが、特定できない。

    f:id:commodore:20201124185404j:plain左手、こちらの方向は剣の方角だ。

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  • 戦国末期の土佐の梟雄長宗我部元親は戦いに長けていて、土佐一国を平定してから、次々周辺の阿波、讃岐、伊予に攻め入り、多くの寺社を破壊し、放火した。ただそんな中でも難を逃れた寺社も幾つかあり、その一つがこの雲辺寺だ。何かこの雲辺寺の住職とは気が合い、長曾我部がこの寺の裏山から四国の山中を眺め、四国制覇の夢を住職に語ったが、住職はそれを諫めた。その時の問答集が現在もこの寺に保管されていて、今それは重要文化財となっている。

  • 納経所で若い寺僧に話を聞くと、その裏山に立つ毘沙門天像は展望塔になっていて、内部にも入れるとのこと。ロープウエイ駅には少し回り道になるが寄ってみる。お寺からは少し高台の場所にあり、緩い傾斜の遊歩道を上がって行く。毘沙門天像は遠くか見ても巨大だったが、間近に見ると、更に大きく天を衝く。高さ10m程の展望塔の上に立っているから更に高く見える。棟の内部はスロープ状にループ回転していて、車椅子の人でも登れるようになっている。ビルで言えば3階建て位、ループを2回転した辺りで外の展望フロアに出ることができた。

  • 寺僧の言う通り、展望塔の上からは360度の展望が開けていた。四国の重畳たる山並み。500年前、長曾我部がこの場所から幾重にも折り重なる山並を見て、四国征伐の欲望に駆られたのは納得できた。前方遥か左手方向に小高い山並が見えるが、剣山の方向だろう。この山は今から18年前(2002年)の5月に登った。山頂直下の窟に安徳天皇の宝剣が隠されているとの伝説の山だ。山の中腹には平家落人部落もあり、麓近くには吉野川源流の大歩危小歩危もある。高さは1955mあり、四国では、いや、西日本では、石鎚山に次ぐ高い山だ。右手の方向にはその石鎚が見えるはずだが、遠すぎるのか、又同じような山並が続き、石鎚は特定できなかった。

塔の反対側に回ると、眼下は瀬戸内と海岸線の町村だ。目の良い人なら本土の街並みも見えるかも知れない。前後左右雄大な光景を見ると長曾我部ならずとも野心ある戦国武将なら天下統一の夢を見るかも知れない。毘沙門天は正に四天王の一人の武将。多聞天とも呼ばれ、多門は人の名前にも使われていて、山口多門、前田多門、等々、皆歴史的な業績を残している。塔の間近の直ぐ下は、伊予三島の方から上ってくるスキーリフトの山頂駅になっていて、今は雪も無くスキー客はいないが、大きなブランコが置いてあって、ここへ遊びに来たらしい数人がブランコに乗って遊んでいた。「天空のブランコ」だ。自分はそこまで行ってブランコへ乗るほどの酔狂はなく、そのままロープウエイ駅に戻り、寺を後にした。

 

この尖った山が剣山かも知れない。

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  • 反対側は瀬戸内の海が遥かに見渡せる。

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    • 塔の直ぐ下は、伊予三島の方からのスキーリフト山頂駅になっている。天空のブランコも見える。

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      • ロープウエイ山頂駅から金比羅山の方向を見る。

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        次のロープウエイに乗って下山する。前方の町は三豊市だ。

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