ちゃおチャオブログ

日々の連続

北九州駆け足訪問記(13)下関へ。

20数年ぶりにやってきた下関駅前は様変わりしていた。
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全く別の町へ来たような感じである。
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駅裏も随分綺麗に整備されていた。
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ああ、この蝶番を重ねたような形は以前と変わらないが・・。
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あの前方に見えるタワーまで行って見よう。
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下関へ行ったのは、もう何年前になるか・・。20年は経っているだろう。当時松本清張のフアンで、彼の推理小説や「日本の黒い霧」や邪馬台国論争の歴史書など多くの本を読んでいた。その中の一つに、門司の外れ、関門海峡に面した和布刈神社の神事をテーマに取った殺人物があり、その神社、和布は即ち若布のことであるが、そのワカメ神社を訪ねたことがあった。

想像していたよりはかなり小さな神社だったが、しかし海峡に面した古風な神社で、境内とか荒磯の大岩などに由緒を感じるものがあった。これだけ流れの早い海流や礒岩、さぞかし立派なワカメが刈り取られるだろうと、神事を想像することもできた。

そうして海岸沿いの道路を歩いていると、頭上に大きな橋桁が立っていて、上を凄いうなりのモーター音が響いている。ああ、関門橋だ。すぐさまこの大きな橋げたが本州と九州を結ぶ関門橋と分かったのだが、ふと見るとその橋桁の根元の部分に小さなエレベーター乗り場が作られている。近づいてみると、「自転車歩行者用の海底連絡通路のエレベーター乗り場」と案内されている。ああ、面白い。折角ここまで来たのだから、その海底トンネルを歩いて本州まで渡ってみようと。

エレベーターで地底まで下り、幅2.5m程の明るいクリーム色にペイントされた歩車道の海底トンネルを興味深く歩き、今この頭の上に100mの厚さの海水があり、そこを多くの船が行き来している。今自分はその地下を歩いている。何か変な感覚に襲われ、10分かそこら地下道を歩き対岸の下関に上陸した。下関はその時以来行っていない。
 
先刻石原町から電車に乗って小倉駅まで戻ってきた。まだ5時だ。夜の深夜便までには充分過ぎる時間があり、これから夜までの数時間、小倉駅前で飲んで時間を潰すのは意味がない。よし、それでは久し振りに下関に渡ってみよう。小倉からは頻繁に電車が出ていて、電車に乗れば30分もかからない。次に来た電車に飛び乗り、下関に行くことにした。

20数年ぶりに来た下関駅前は、全く別の街に来たように見違えるように変わっていた。20年の歳月は街の顔をこれ程までに変化させるのか。嘗ての面影は、駅前から伸びていた1本の大通りだけだったが、その通りも、嘗ての田舎の通りから、様変わりの近代都市の目抜き通りに変貌していた。違う町にやって来たのだと・・
 
 
 
 
 
駅前のこの辺は、大きな通りが1本あるだけで、乾物屋とか土産物店の古めかしい木造の建物しかなかったが・・。今は大きな高架遊歩道(デッキ)が作られている。
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ああ、プサン行の立派なフェリーターミナルも出来ている。
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大通りに面し、この辺に日銀下関支店の立派な建物があったが、今はどこかに移転したのか・・
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ああ、駅前の丘の上のこの神社は昔のままだ。
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ああ、タワーが随分近くなってきた。
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そうだ、このタワーに上って、海峡を見てみよう。
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