さて、これから下関タワーに昇ってみよう。
ああ、眼下に海峡が横たわっている。
北九州の街並みも指呼の間だ。
下関お魚市場も目の下に見える。
ああ、あの小島は巌流島じゃないか・・。
人口減少化と高齢化に突き進んでいる現代日本。今日は日曜日というのに、午前中に行った北九州地方では有数なハイキングコース平尾台のカルスト台地では登山着姿の中年過ぎのおばさんに僅かに一人出会っただけだった。今こうして下関駅から陸上デッキ(遊歩道)を歩き、下関タワーに向かっているが、デッキの上にも通行人は少なく、デッキから下りて、ここ下関タワーに昇るべく、その前の広場を歩くが、殆ど観光客らしい人は見かけない。皆、どこへ隠れてしまったのだろう・・。
前期高齢者につき割引料金の300円を支払って、西日本で一番高いタワーに昇る。下関タワーは通称で、ちゃんとした名称がある。「海峡ゆめタワー」という名前だ。1996年に建てられ、高さは153mある。それでも展望室まで行くと全く無人の貸し切りではなく、何人かのお客が窓に向かって海峡の景色を眺めていた。実際関門海峡が目の下を大きな水道(海峡)のように横たわっていて、数多くの船舶が往来している。尾道の千光寺の境内から目の下の尾道(大島)水道を眺める景色を思い出したが、それよりはもっとスケールの大きな、雄大な眺めだ。
巌流島を探してみる。北九側からは何回か見ているが、その扁平で小さな島は、島自体の魅力はどこにもないが、そこで行われた武蔵小次郎の決闘、所謂巌流島の一騎打ちは、世の少年の心を震わせた。そうした歴史背景、映画の一シーン等を思い出すように島を見下ろす。上から見ても小さな島で、何の変哲もない。ここで世紀の決闘が行われたなどとは、言われてみなければ、見過ごされてしまいそうな何の特徴もない島である。
海峡は広く太い。ずうっと右手の方は玄界灘、対馬、朝鮮半島に向かって開けている。左は瀬戸内、豊後水道だ。対岸の北九州工業地帯の高い煙突も見える、最近増えてきた高層マンションなどもあちこちにに見える。この20年、地方の高層化は自分が知らない間に、ひそひそと進んでいたのか・・。
眼下の海峡ではひっきりなしに、絶え間なく船舶が往来している。海上の大動脈だ。ほぼ1000年前、この海峡で源平の最後の戦いが行われ、日本は以後、貴族社会から武家社会に変わって行った。150年前、この海峡で4国艦隊と長州藩が戦い、長州藩の敗戦はその後の日本の近代化へのきっかけともなった。この海峡は単に本州と九州を分かつだけでなく、深く日本の歴史に関与し続けてきた。今日も又眼下の船舶は音も無く、みずすましのように粛々と往来し続けている。
前期高齢者につき割引料金の300円を支払って、西日本で一番高いタワーに昇る。下関タワーは通称で、ちゃんとした名称がある。「海峡ゆめタワー」という名前だ。1996年に建てられ、高さは153mある。それでも展望室まで行くと全く無人の貸し切りではなく、何人かのお客が窓に向かって海峡の景色を眺めていた。実際関門海峡が目の下を大きな水道(海峡)のように横たわっていて、数多くの船舶が往来している。尾道の千光寺の境内から目の下の尾道(大島)水道を眺める景色を思い出したが、それよりはもっとスケールの大きな、雄大な眺めだ。
巌流島を探してみる。北九側からは何回か見ているが、その扁平で小さな島は、島自体の魅力はどこにもないが、そこで行われた武蔵小次郎の決闘、所謂巌流島の一騎打ちは、世の少年の心を震わせた。そうした歴史背景、映画の一シーン等を思い出すように島を見下ろす。上から見ても小さな島で、何の変哲もない。ここで世紀の決闘が行われたなどとは、言われてみなければ、見過ごされてしまいそうな何の特徴もない島である。
海峡は広く太い。ずうっと右手の方は玄界灘、対馬、朝鮮半島に向かって開けている。左は瀬戸内、豊後水道だ。対岸の北九州工業地帯の高い煙突も見える、最近増えてきた高層マンションなどもあちこちにに見える。この20年、地方の高層化は自分が知らない間に、ひそひそと進んでいたのか・・。
眼下の海峡ではひっきりなしに、絶え間なく船舶が往来している。海上の大動脈だ。ほぼ1000年前、この海峡で源平の最後の戦いが行われ、日本は以後、貴族社会から武家社会に変わって行った。150年前、この海峡で4国艦隊と長州藩が戦い、長州藩の敗戦はその後の日本の近代化へのきっかけともなった。この海峡は単に本州と九州を分かつだけでなく、深く日本の歴史に関与し続けてきた。今日も又眼下の船舶は音も無く、みずすましのように粛々と往来し続けている。
ああ、巌流島もここから見るとこんな風に見えるのか・・
対岸の門司は靄に霞んで見える。
プサン航路の国際フェリーも停泊している。
ああ、南風泊(はえどまり)水道もこんな風に見える。
確か早鞆の瀬、赤間宮はあの辺りだったか・・。左の高台は下関砲台か・・。以前登って台座の跡以外何も無かったが・・