春の秩父路。どこの家も梅が満開だ。
大慈寺の石段を登る参詣者。

万松山大慈寺の御詠歌「罪科もきえよといのる坂氷 旭はささで ゆうひかがやく」。
この石仏も古そうだ。
秩父三十四観音霊場は全てが秩父盆地内にあって、四国霊場とか西国巡礼のような広範囲の中に点在しているのと違って、地の利は悪くない。だから霊場巡りも1番から始まって、順番に回っていくかと思っていたが、今回ツアーはそうではなく、順不同になっている。
第一番札所「四萬部寺」の次にむかったのは、秩父市内を北から南に縦断する形で横切り、芝桜で有名な羊山の裏側にある第拾番「大慈寺」へ向かった。バスは羊山のかなり手前の駐車場に止まり、参詣者はそこから山の斜面に建つお寺に向かう。この辺り、市の郊外、横瀬地区で、秩父路の春の野辺路、うららかな日差しの中、タンポポや大犬袋が足元に沢山の花を付け、前方斜面には満開の梅が家々の屋根の上を飾っている。
古めかしい石段を登った上に万松山大慈寺があり、狭い境内の横に集まり、全員で心経を唱和する。秩父地方は禅宗のお寺が多く、先達さんの説明では、34ケ寺の内の10ケ寺が曹洞宗、5-6ケ寺が臨済宗、その他真言宗豊山派、天台宗等々で占められていて、説明の中には日蓮宗の名前は上がらなかった。寺の多くが聖観世音菩薩をご本尊として祀っていて、ここだ大慈寺も聖観音だった。
30m程の高台にある石段の上から前の家並みを眺める。昔は一面の田んぼだったとのことだが、今は家が建てこんでいる。右手に大きな山、武甲山がピラミッド型にそびえている。100名山を登り始めた初期の頃、この山にも登った。山を上る途中、石灰岩を破砕するダイナマイトの地響きが時々聞こえてきた。今は全く静かなもので、そうした爆発音など全く聞こえてこない。ヒバリこそ舞ってはいないが、全くの春の秩父路だった。
第一番札所「四萬部寺」の次にむかったのは、秩父市内を北から南に縦断する形で横切り、芝桜で有名な羊山の裏側にある第拾番「大慈寺」へ向かった。バスは羊山のかなり手前の駐車場に止まり、参詣者はそこから山の斜面に建つお寺に向かう。この辺り、市の郊外、横瀬地区で、秩父路の春の野辺路、うららかな日差しの中、タンポポや大犬袋が足元に沢山の花を付け、前方斜面には満開の梅が家々の屋根の上を飾っている。
古めかしい石段を登った上に万松山大慈寺があり、狭い境内の横に集まり、全員で心経を唱和する。秩父地方は禅宗のお寺が多く、先達さんの説明では、34ケ寺の内の10ケ寺が曹洞宗、5-6ケ寺が臨済宗、その他真言宗豊山派、天台宗等々で占められていて、説明の中には日蓮宗の名前は上がらなかった。寺の多くが聖観世音菩薩をご本尊として祀っていて、ここだ大慈寺も聖観音だった。
30m程の高台にある石段の上から前の家並みを眺める。昔は一面の田んぼだったとのことだが、今は家が建てこんでいる。右手に大きな山、武甲山がピラミッド型にそびえている。100名山を登り始めた初期の頃、この山にも登った。山を上る途中、石灰岩を破砕するダイナマイトの地響きが時々聞こえてきた。今は全く静かなもので、そうした爆発音など全く聞こえてこない。ヒバリこそ舞ってはいないが、全くの春の秩父路だった。
施無畏。観音堂の別称だ。
早くも沈丁花の香りが漂ってきている。
木瓜の花はこれからだ。
寺の目の前には武甲山が聳えていた。
春のうららかな野辺路をバスに向かう。