ちゃおチャオブログ

日々の連続

秩父観音霊場お札巡り(3)七ケ寺霊場「四萬部寺→大慈寺→常楽寺→少林寺→慈眼寺→定林寺→西光寺」。

この墓地の上に常楽寺がある。
 
 
 
3番目のお寺「常楽寺」に向かう参詣者。
 
 
 
このお寺は羊山を真ん中にして「大慈寺」とは丁度反対側の斜面に建っている。
 
 
 
常楽寺に参詣する人々。
 
 
 
観音様とはこの紅白の綱で結ばれている。
 
 
 
 
 
丁度2年前の今頃の季節、用事で秩父へやって来たが、所用の方が案外早めに終わり、余った時間をこの町の観光に費やした。その時、何か所か回った内にこの羊山公園があって、西武秩父駅からもそれ程遠くなく、丘に登った。丘全体が丸みを帯びたなだらかな形容で、どこか羊の背中の柔らかさを想像させるものがあって、羊山と呼ばれるようになったかと、勝手な想像をしていたが、今日またこんな形、札所巡りでこの丘の斜面に立つ観音寺にやってくるとは当時は思いもしていなかった。

この羊山の頂上の端の方に棟方志功記念館があって、民間人により経営されていたが、何でこんな場所に棟方志功が? 棟方は青森の出身で、当方の知る限りではこの秩父には志功の足跡はなかったと思ったが・・。そこで館の学芸員に尋ねた処、この館のオーナーが以前から棟方志功を収集していて、大分集まったので、この場所に記念館を建てた、との答えだった。

成程、個人的な趣味が嵩じて、この様な立派な美術館まで建てたのか・・。地下室には林武の細面の美人画も掲げられたあったが、ここのオーナーは誰か知らん相当な資産家に違いない・・。その時は単純にそう思って、志功の絵画、版画、墨絵などを眺め帰ったが、今日、こうして秩父三十四霊場を巡る途次、この丘の裾に建つ二つの札所を周ることにより、その意味を半解した。

志功は沢山の仏の絵画、版画を残しているが、中でも肉感豊かな観音像を数多く作成している。彼を代表する最も印象的な絵だ。・・・そうか、そうだったのか・・、この秩父音霊場と棟方の観音様とが、ここで結びついていたのか・・。この羊山の二ケ寺を巡ることにより、漸くこの丘の上に建つ志功記念館の意味が理解できるようだった。

羊山の東斜面に建つ大慈寺の参詣を終え、バスはこの丘を回り込むようにして西側に出て、その斜面に建つ第十一番札所「南石山常楽寺」に向かった。

この「常楽寺」は「大慈寺」とは羊山を真ん中にして丁度反対側に建っていて、「大慈寺」が横瀬の田舎の風景しか見えないのに反し、ここからは秩父市内が一望できる。しかしその反面、明治11年(1878年)秩父の大火により、市内からの飛び火がこの寺にも飛び火し、お寺は全焼となり、焼失した歴史もあった。

この寺の境内も丘の中腹にあり、元山門のあった場所からの秩父市内の眺めは、2年前、羊山山頂からの眺めと変わらなかった。即ち、平和な光景だった。
 
 
 
 
常楽寺由来書。
 
 
 
ご本尊の聖観音菩薩は撮影禁止だが・・
 
 
 
境内からは秩父市内が見渡せる。
 
 
 
常楽寺参詣の後は道の駅で昼食休憩。
 
 
 
ツァー客には「なだ万」のお弁当が配られる。なかなか豪華で美味しかった。
 
 
 
40分の昼食休憩の後、次のお寺に向かう。