ちゃおチャオブログ

日々の連続

秩父観音霊場お札巡り(4)七ケ寺霊場「四萬部寺→大慈寺→常楽寺→慈眼寺→少林寺→定林寺→西光寺」。

昼食に配布された「なだ万」のお弁当。50種類以上の具材が入っていた。「なだ万」って言うのは、名前だけ印刷されて、どこにも住所、連絡先は書かれていないのか・・
 
 
 
昼食後の最初の参詣先は第十三番「旗下山慈眼寺」。
 
 
 
境内に入る前に地蔵堂があり、そこの石柱に「十三番補陀所」と彫られていた。大発見!
 
 
 
さて、これから慈眼寺に入ります。
 
 
 
山門の正面に本堂が見える。
 
 
 
 
 
お昼のお弁当に「なだ万」が出されるとは全く予想外だった。日帰りツアーで約9000円は、当方に取ってはかなり高い料金設定と思っていたが、昼食に「なだ万」が出るんだったら見合っているのか。しかし流石「なだ万」。数えた訳ではないが、こまごました食材が何種類も入っていて、ざっと見たところ50種類はあるだろう。春のタラの芽、タケノコからシラスご飯。お子様弁当の大人版、っと言ったところだ。

なだ万弁当」というのを今回初めて食べたが、箸入れにも弁当箱にも「なだ万」と書いてあるだけで、住所とか連絡先はどこにも印刷されていない。これでは一体どこの「なだ万」か分からないではないか?? 確か先刻バスが「栗助」に着いた時、添乗員が駐車場で待っていたバンの人から34人分の弁当箱を受け取っていたが、バンは地元の車のようだった。とすると箸や箱には「なだ万」と印刷されてはいるが、これは老舗の「難波なだ万」ではなく、地元の「なだ万」か?? 

まあ、どうでも良いようなことを添乗員に聞くわけにも行かず、ゆっくりしている間に昼時間は終わり、午後最初の参詣先、第十三番札所「旗下山慈眼寺」へ向かった。ここは秩父市役所のあるお祭り広場のすぐ近くにあり、広場から坂を下った所にある。先達さんの話では「旗下山」の「旗」はその昔、日本武尊東征の折、ここに「旗」を立てて陣地にした謂れがあるから、との事であるが、一方で、お寺が坂の下にあり、「坂下」が訛ったもの、との説もあるとのこと。

更に又、先達さんが興味深い話をしたのは、このお寺は「崖」の下にあり、鎌倉時代の昔には「崖」のことを「はけ」と言っていた、とのこと。従って、「はけ下」が日本武尊伝説と結びついて、「旗下」となった、との説。ああ、なる程、得心がいった。当方、小金井に永らく住んでいるが、こkには国分寺崖線という数十キロにも及び崖、段差がある。昔からこの土地の住民はこの崖線を「ハケ」と呼んでいた。「ハケの道」などは今でも普通に使われている。市役所等の広報では崖の段差の為に「水はけ」が良く、この水がハケ出される、水はけの良さ、から「ハケ」と言われるようになった、と解説されていたが、今日の先達さんの説明の方が当たっているだろう。「はけ」は鎌倉時代の古語で、「崖」を意味していた。その古語を今でも現代人が使っている。そういうことだったのだ。

更にもう一つ興味深い事実を発見した。この寺に入る角の所の地蔵堂の前に「第十三番補陀所」との石柱が建っていた!「補陀所」! これは重大発見だ。目から鱗が落ちる思いだった。そうか、「お札参り」とはそういうことだったのか・・。 
 
 
 
 
ここも明治期の秩父の大火で消失したが、その後、今のように再築されている。
 
 
 
ここも明治期の秩父の大火で消失したが、その後、今のように再築されている。
 
 
 
明治期、秩父地方には農民一揆があったが、絹織物等、裕福な面もあたのか・・。立派な瓦屋根だ。
 
 
 
境内に植えられている目の漢方薬になる樹木。