ちゃおチャオブログ

日々の連続

薩摩・大隅の旅(44)山の上から喜入を眺め、鹿児島市内へ。

知覧の旧武家屋敷を出ると、直ぐにも山間の道路になり、周辺には知覧茶の茶畑が点在している。
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道路を上り詰めた先には鹿児島湾(錦江湾)が広がっていた。
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山の下には喜入の石油基地が見える。
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この時の旅行の半年後の先月中旬、この喜入の沖合数キロの場所を震源地とする地震が発生したが、そのニュースを聞いて、ぞっとした。
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更に山間を進むと正面に桜島が見えてきた。
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知覧の武家屋敷を外から眺め、この後、鹿児島市内に戻ることにした。レンタカーの返却時刻は3時で、まだ多少は時間はあるが、これから指宿まで回り、砂風呂に入ったり見たりする時間はない。知覧からは国道なのか、バイパスなのか、山中を切り開いた快適道路を鹿児島市内に向かった。この辺りの山中は知覧茶で有名で、斜面のあちこちに茶畑が広がっている。鹿児島にはもう一つ霧島茶もあって、確か霧島茶の方が知覧茶よりも先行していたと思うが、こちら知覧は生協にも採用されて現在では全国的に有名になっている。九州では他に八女茶も有名で、熊本空港などでも販売されている。この辺りは静岡、京都、埼玉(狭山茶)と並んで、お茶の有名産地になっている。

その農家が点在する山中の道路を抜けると、急に見晴らしの良い山の上に出る。正面は鹿児島湾(錦江湾)だ。その先に桜島も再び顔を出す。鹿児島ではどこを走ってもこの桜島開聞岳のどちらかが見えるようになっている。風光明媚な県の一つだ。この湾を見ていて今思い出したが、「錦江湾」とは何時ごろから使われるようになったのか・・。「錦江」とは中国四川省省都成都の市内を流れる綺麗な川で、この川を下って行くと長江(揚子江)に合流し、嘗て三国志時代、蜀の劉備玄徳や諸葛孔明がこの川を下って、出陣していった。たまたま今年の春先成都を旅行し、錦江に面する望月亭で、三国志時代を想ったが、今またこうして鹿児島にて錦江湾を眺める。偶然と言えば、偶然なのかも知れない。

山の端に車を止め、湾を眺める。直下に海岸にへばりつく様に町が見える。真っ白の石炭タンクが林立し、沖合にはタンカーも停泊している。そこから長いパイプラインを通して、原油が汲み上げられてる。喜入の石油基地だ。又、話が飛ぶが、先月の7月中旬、この石油基地の沖合数キロの湾内を震源地とする大きな地震が発生した。幸いに直下型でなくて良かったが、もしもこの基地の真下で大規模地震でも発生したら、と思うと、ぞっとしたが、その時の地震速報を聞いていて、咄嗟にこの山上からの光景を思い出した。

山を下り降りと、右側からの指宿方面からの国道と合流する。片側3-4車線の大きな道路で、通行量も多い。県内の幹線道路だ。レンタカー返却までにまだ2時間ほどあり、市の入り口付近にある慈眼寺旧跡で一休みしてから、車を返すことにした。



どっしりとした大きな山だ。
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山道を下り降りと右からの指宿からの国道と合流し、幹線道路を市内に向かう。
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鹿児島市内を南方向から眺める。
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桜島がいよいよ大きく近づいてくる。
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レンタカーを返す前にもう一か所だけ、旧跡を訪ねてみよう。
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