ちゃおチャオブログ

日々の連続

イギリスの3日間(47)グリニッジ天文台の子午線を跨いで。

英国の繁栄と斜陽、その後の復活。今またEUを離脱し、英国はどこに向かうのか・・。
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グリニッジの丘の上からロンドンの繁栄を暫く眺め、天文台の中に入ることにした。
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古いレンガ造りの建物は歴史を感じる。
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入り口の資料館には嘗ての観測機器などが展示されている。
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館内は中国人観光客が多く、裏庭に出る。
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15世紀から始まった大航海時代、当初はポルトガル・スペインが先鞭をつけ、世界の海を股にかけあちこちに植民地を増やしていったが、続いて出てきた英国、オランダ、フランス勢。瞬く間に葡牙両国を駆逐し、代わりに大航海時代の覇者となって、世界を席巻するようになって行った。19世紀ビクトリア女王の時代には、英国は日の沈むことの無い帝国と言われるまでになった。世界各地に広がっている英国領、植民地をつないでいけば、英国領のどこかには必ず太陽が昇っていて、英国には日没は無い、とまで言われていた。

しかし第2次大戦後世界に散らばっていた植民地は次々に独立し、今や英国も当時の栄光と比べたら見る影もなく、一時は斜陽国家とまで揶揄されるようになった。人に栄枯盛衰があるように、国家も3-4世紀、4-6世紀の長いスパンで眺めれば、人間同様の栄枯盛衰があっても不思議でない。奢れるもの久からずやの国家版だ。21世紀、米中の争いも今やその入り口に差し掛かっているのかも知れない。

グリニッジ天文台の丘の上からロンドン市街地を眺め、そんな風にも思ったりして、いよいよこれから天文台に入ることにした。それにしても中国人が多い。ホームズ博物館でも感じただが、どうしてこんなに中国人が多いのだろう。人口比で言えば、世界の人口の六分の一を占めているのだから、多いのは当然としても、昔のように貧しい国だったら、これ程の観光客は押し寄せて来なかったが、今は経済的にも豊かになり、人々が一斉に海外旅行を楽しむ時代になったのだ。これに更にインドが経済発展すれば、今の中国人以上にインド人で溢れかえるだろう。

そんな沢山の中国人のいる資料室を出て裏庭に回ると、子午線がある。中国人は忙しいのか、気が付かないのか、ここまでは来ていない。初めて見る子午線。自分は明石の観測所へは行ったこともなく、そこにどんな子午線が引かれているのかは知らないが、このグリニッジにある子午線が本家本元だ。東経も西経もない経度ゼロの地点。右の東側に向かえば東経だ。左は当然西経。

自分は自撮りのバーを持ってなく、誰か写真をと思っていたら、奥の事務室から若い青年が出てきて、写真をお願いする。その子午線を跨ぎ、身体の左半分が今現在東経に、身体の右半分は西経だ。別に身体が二つに分断されている訳ではないが、誇らしげな感覚だった。ここからイギリスの世紀が始まり、今自分はそのスタート地点に立っていると。



建物の裏側には子午線が引かれていた。館内の中国人は誰も知らない!
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奥の事務室から出てきた若い職員にお願いし、子午線(Meridien,Longitude)を跨いだ写真を撮ってもらう。
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イギリス人天文台の職員。
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世界の近代化の歴史に残る建物だ。
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世界標準時はここから始まる。
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