ちゃおチャオブログ

日々の連続

「沖縄の4日間」(6)泊港と国際通り。

首里城見学の後やってきたのは泊港
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とまりん」の4階デッキの上から見ていると、今まさに離島航路「くめじま丸」が出航するところだった。
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島との間を1日何往復しているか知らないが、殆ど赤字続きだろう。
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ホテルで一休みし、夕方から国際通りに繰り出す。
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 通りは全面土産物店かライブのレストランで、観光客もかなりいた。
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首里城からモノレールに乗って次に向かったのが泊港。昔は古びた旅客ターミナルでしかなかったのだが、沖縄特措法、今は沖縄振興法という名前に変わっているようだが、政府の出先、沖縄開発庁がじゃぶじゃぶお金をつぎ込み、「とまりん」という立派なターミナルビルを作り、港の前には大きなアーチ橋がかかっている。これだけの建物、架橋に一体どれ位の税金が投入されたのかは知らないが、無用の長物とは言わないまでも税金の無駄使いの最たるものの一つのようだ。

15階建ての豪壮な建物に入ると、案の定、1,2階はそれぞれ店舗、事務所などが入居しているが、3-4階はガラガラの空スペースで無人状態。テナント料が高いから誰も入居しないのか、親方日の丸を絵に画いたようなようなもので、経済感覚はゼロに等しい。まあ、地元とすれば箱物を作れば、それで一件落着だから、その後のビルの稼働率など、他人事だろう。上の階のホテルが潰れなければよいが、と他人事を心配しても始まらない。

さて、4階のデッキに出て、泊港を見下ろす。今まさに離島航路の「くめじま丸」が出航するところだ。以前沖縄に5年住んでいたが、離島には殆ど行っていない。行ったのは石垣と目の前の慶良間、それに本島周辺の小島程度で、宮古へも行ってないし、伊是名、伊平屋、奄美にも行っていない。本島の美しい海岸を見れば、どこも同じようなもので、敢えて行くことも無いだろう、と当時は思っていたが、今思うと、行っておけば良かったと思っている。出航する村営の連絡船を眺めていても、久米島がどんなところか想像もできない。

以前何かの本で読んだが、この「久米」という言葉は、「クメール」から来ている言葉で、それは現在のカンボジア旧国名「クメール」に通じ、更にはインド仏教の聖地「須弥山」に通じ、更には遥か先の中近東の「シュメール」に通じるというものだった。その久米種族は海の道を遥か大和までやってきて、神武東征の際の大久米や吉野の久米仙人として名残を残しているということだった。

久米ー久米島が荒唐無稽の話しかどうかは確かめようもないが、この島の直ぐ近くに「粟国島」という本当に小さな島があり、人口が数百人いるのか何人いるのかも知らないが、ここでは良質の海塩を製塩し、遠く東京にまでも出荷している。黒潮のぶつかる島。藻塩で焼いた塩の味は格別だ。暖かい南の海の香りもほんのりとするかも知れない。そんなことを想像し、2階のカフェテラスで休憩し、一旦ホテルに戻ってチェックインしてから、再び夕刻の国際通りに繰り出すことになった。
 
 
 
 
以前住んでいた頃、この通りの三越とか山形屋に買い物に来ていたが、今は山形屋は撤退してしまったようだ。
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通りの中程にある「海援隊」に入る。
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この店は稲さんの紹介で、オリオンビールが僅か100円!安くて美味しい店だった。
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かなり飲み、且つ、食べたが、誰からともなく、もう一軒行こうということになった。
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