ちゃおチャオブログ

日々の連続

中国・歴史の旅(65)龍門石窟Part2.

切り立った崖には数千の洞が穿たれ、10万体に及ぶ石仏が安置されていた。
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人間の技とは思えぬ甚だしい数だ。
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石仏は今でもこうして洞に安置されている。
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中には重要で貴重な石仏もあるのだろう。
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ああ、木製の階段が作られ、大勢の人が上に登って行く。
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上の高い場所には何か特別に貴重な石仏が安置あれているのだろう。
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つい最近富士山が日本の16番目の世界遺産として正式にノミネートされたが、国も広く歴史も長い中国では世界遺産の数は日本の倍以上、43カ所もあり、世界で2番目に多い国だ。石窟群にしても最初に敦煌が1987年に登録されて後、2000年にはここ龍門、翌年の2001年には雲崗が登録されている。

日本の最初の世界遺産登録は1993年に奈良・法隆寺屋久島、白神、姫路城の4カ所が同時に登録されたが、中国の最初の登録は日本に先んずること6年、敦煌と同時に泰山、万里の長城故宮始皇帝陵、北京原人遺跡の6か所が同時に登録されたが、こうしてみると、中国政府の歴史保存並びに観光にかける並々ならぬ熱意が感じられる。少なくとも場当たり的、事なかれ主義の日本の役人よりは中国の役人の方が積極的であり成果主義に則っている。こうした役人気質の違いが、歴史・国土が広いとはいえ、こうした数字の違いに現れているのではなかろうか。

そこが世界遺産である以上、その国が後進、先進、中進に限らず、すべてユネスコの統一基準によって認定されているから、いかな大国中国であっても勝手なことは出来ない。サイトは綺麗に整備され、ゴミも無く、清潔なトイレは完備され、そこでは唾を吐く中国人も見られない。経済が発展すると共に国民の民度も上がり、人品は磨かれ、今や都市では唾を吐く人も見かけなくなった。それに反し、年々生活保護者の増大する日本はどうだろうか。経済的困窮は品位の劣化に結びつかなければ良いのだが。

ゴミ一つ落ちてない伊河の遊歩道を、右手に石仏群を眺めながら、川の流れに沿って先に進む。中程の右手に木板で作られた急な階段が崖の上の方に伸びている。大勢の観光客がその階段をアリの行列のように上に向かった進んで行く。この会談のトップには何か有名な石仏があるに違いない。観光スポットになっているのだろう。当方、今日の午前中は少林寺の境内で十分すぎる程歩き、今はもうやや歩行困難な状態に陥っていて、且つ以前雲崗でここよりも立派な石仏は数多見てきた。そう自分に言い聞かせ、崖の上に登るのをパスし、韓国人女性二人だけに行ってもらい、自分は先に進む。

崖の上にどんな壮麗な石仏があるのかは知らない。一度は廃墟となり、その後、観光地として今又多くの人を惹きつけている。人間の流行り廃り、石仏も苦笑しているに違いない。目の前の川は今も1500年前も、更にそれ以前から滔々と水を湛え、静かに流れている。1500年前と変わったことと言えば、両岸を結ぶ石橋が出来たこと位か。切り立った崖の上の石仏と目の前の川の流れ。1500年前に身を置き、今眺めている。
 
 
 
 
今日1日既に相当歩き、膝が既に痛み出し、登るのは諦めた。
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崖の低い所でも幾つもの石仏がある。
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歴史を忘れた現代中国人も今熱心に学んでいる。
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河の反対側、西岸のお寺も見える。
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前方に橋がある。あそこを渡って西岸に行こう。
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韓国女性もそろそろ降りて来る頃か。
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