ちゃおチャオブログ

日々の連続

中国・歴史の旅(91)日本人僧侶・成尋のこと。

博物館の中には、この町に関係する歴史人物の展示コーナーもあった。
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突然目を惹いたのは、日本人僧侶「成尋」阿闍梨のパネルだった。
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中国人の入館者も展示物を熱心に見ている。
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ああ、これは貴石でできた文箱だ。
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司馬光?どこかで聞いたような聞かないような名前だが・・
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何かの文集が立派な文字で綴られている。
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開封の町の歴史は古く、早くも夏の時代、禹王が活躍していた時代から既に存在していた。
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開封博物館には、この街に関係した歴史的人物に関しての特別コーナーがある。その中の一人に「日本人僧侶・成尋」の展示があった。日本の歴史には殆ど出てこない僧侶の名前。当方にとっても初めて聞く名前だ。しかし解説を読んでいると、この僧侶は日本でよりか、中国、宋に於ける方が遥かに知名度の高い天台宗の僧侶であった。

成尋阿闍梨、後年北宋、神宗皇帝から善慧大師の称号を賜ったが、平安末、60歳を過ぎてから留学僧として中国に渡り、天台寺で修行し、更に五台山まで参内した。その後開封、当時の都、東京に戻り神宗皇帝に謁見したが、皇帝は阿闍梨の知徳を慈しみ、日本に帰国することあたわず、70歳にてこの地に没した。

彼は円仁上人と同じく旅の僧侶で、五台山・清凉寺までも訪れたが、慈覚大師同様に優れた旅行記を残している。「参天台五台山記」と言う記録綴りで、日本人には余り馴染みのない紀行文だが、中国に於いては円仁さんの「入唐求法巡礼行記」と並び称せられる名著と言われているようである。

200年前の盛唐の時代に日本僧が五台山に上り、今又成尋が天台、五台と修業し、二人して後世に残る名著を著わしている。こんな殆ど日本人観光客の尋ねることのない様な博物館で、1000年前の優れた日本人僧侶の事跡を知ることとなり、深く感動した。読めない中国語をしげしげ眺めている一人の入館者を見て、他の中国人はどう思っただろうか・・。一人の日本人としての誇りに満ち溢れていた。
 
 
 
 
3000年の歴史を有する現代の若い中国人の子供達。
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一頃は仏教が盛んな時代もあった。
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書画骨董の類、美術工芸品には事欠かない。
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古い時代の素焼きなども展示されている。
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これは青銅器の祭器か?
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王侯貴族、庶民の銅器だ。
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ああ、先商時代、岳石文化圏の遺構の分布図だ。 殷、商、夏、・・
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