ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(34)市場を出てから。

竹籠の中の小動物は時々うめき声や奇声を発するが、豚の子供なのか、イノシシなのかはよく分からない。ここではイノシシも豚も未分化になっているのかも知れない・・。
 
 
 
隣では鶏の籠だ。
 
 
 
烏骨鶏のような上等な鶏が売られている。
 
 
 
しかしこの小動物の籠は壮観だ。
 
 
 
ああ、ここでは野菜の物々交換か。
 
 
 
ああ、淡水の魚なども売られている。
 
 
 
生きてはいるが、こんな田舎でも養殖をやっているのだろうか・・
 
 
 
 
あの竹籠の中に入っていたのは、どうも子豚のようだ。でないとすればイノシシの子供か。生きたまま売買されている。冷凍、冷蔵保存設備の無いこの町では、生きたまま売買しないと、直ぐに腐ってダメになる。だから1匹丸買いしては、食べる直前に〆て殺し、大勢の家族、親族で食べるのだろう。

隣を見ると同じような光景で、鶏が生きたまま売買されている。こちらは鳥かごだ。これをもうちょっと大きくしたサイズのものが、江戸時代まで使われていた、罪人用の鳥籠だ。中に入れられたら、身動きでもきない。この鶏を生きたまま売買する習慣は現在もアジア各地で行われていて、別に珍しいことではない。中国、台湾でもまだ現在も行われている。日本で廃れてしまったのは、ブロイラーの鶏が主流となり、烏骨鶏や軍鶏、綾地鶏や比内鶏などのごく一部を除いては、皆工場生産、機械的生産になって、鶏ではなく、鶏の塊、としか見なくなってしまったからだろう。

鶏の鳴き声や羽ばたき、或は竹籠の中の小動物のうめき声、スピーカーに依らない人の大声。ここでは自然が生きている。人々は自然の中に生きている。栄養も衛生も悪く、長寿ではないかも知れない。しかし長生きを唯一絶対に近い価値としている先進国の人々よりは、余程かましな生き方をしているに違いない。少なくともここでは殺人事件は起きないだろうし、ノイローゼや不眠症もいないに違いない。今日を精一杯生き、明日を思い煩うこともない。数時間、この薄暗い市場の中を彷徨し、色々なことを学んだ。さて、夕食までの一時、ホテルに戻って、少し休もう。
 
 
 
 
夕方の市場はそれなりに賑わっている。
 
 
 
ああ、良い勉強になった。そろそろホテルに引き上げよう。
 
 
 
漸く西日も傾いて行く。
 
 
 
今日はかなり歩いた。部屋に入る前に一休みしよう。
 
 
 
さて、夕食を食べに行こう。「ラーンアハーン・ポーンケーオ」だ。
 
 
 
ホテルの前の道路の反対側の店で夕食を取る。