ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(97)ルアンナムター、丘の上の紙型(依代)と路傍のお墓。

少数民族の木像に見送られ、パゴダを後にした。
 
 
 
ああ、ルアンナムターの町が良く見える。奥の方に大きな川も見える。
 
 
 
ああ、川も今は乾季で干上がっている。
 
 
 
緑濃い、落ち着いた街だ。
 
 
 
山に囲まれた静かな街だ。
 
 
 
ちょっと離れた場所に建物があり、人もいる。僧院ではないようだ。僧侶の姿は見えない。挨拶して来よう。
 
 
 
ああ、ここは僧坊ではなく宿坊なのか。寝具の用意もしてある。
 
 
 
 
 
本来この参道を通り、五族協和の木像に迎えられてパゴダにお参りすべきだったのだが、横の階段からパゴダに向かい、帰る間際になるまで気が付かなかった。今は両側に並ぶ6人の少数民族に見送られ、このパゴダの丘を下ることになった。下る途中の右側に集会所みたいな建物があり、人の姿も見える。ちょっと寄ってみて挨拶する。ここに寝泊りしているようだ。日本で言えば宿坊。遠方からお参りに来た人など、こうした宿坊があると寝場所には困らない。宿坊に関してはタイにもあったから、寺院に付属する必然的な建物なのだろう。

ふと前方を見ると、階段の下でチリジリになった白い紙が風に揺れている。最初、遠方から見ると誰かが要らなくなった紙屑を階段の下に放り投げて帰ったのか、とも思えたが、その揺れ方が不思議だ。紙ははためいてはいるが、飛んでいかない。一体何なのだろう、と近くへ行って様子を見る。

ぎょ! 人の形をした紙型、人型ではないか!それが無数にある。竹の串に繋がれて地面に突き立てられている。それが音もなくひらひらと風に揺れている。一種異様な薄気味悪さすら感じた。・・ああ、これがこの国の宗教。同じ仏教徒でも、この点に関してはタイとは全く違う。少数民族のどこかの部族がこうした風習を仏教に取り入れているのだろうか・・。これはまさしく人型、依代に違いない。人々はこうして霊を祀っているのか・・。亡き人を弔っているのだ・・。どの種族か知らないが、いよいよ日本との共通の風俗宗教観を感じたのだった。

丘に登るときは自転車を引いて時間も掛かったが、下るときは早い。道路は舗装されているからさーっと下ることができる。来る時にちょっと気になったお墓。斜面の途中に町に向かって数基並んで立っていた。自転車を下りて眺めてみよう。一族、関係者のお墓だろう。墓地と言えるほどのスペースは無く、単に私有地の一角に建てられているという感じだ。

タイではお墓は殆ど見たこともなく、見たとしても中国系のタイ人のお墓が多いが、ましてや、今ここにこうして立っているように、道路端にあるなんてことはなかった。路傍のお墓。これも又日本に共通する文化だ。建てられてからまだそれ程時間も経っていないが、これが時代を経た古びた石塔だったら、道祖神と見間違うかも知れない。うーん、ここにも又日本の文化を発見したか・・・。
 
 
 
 
 
うーん、あのひらひら揺れている白いものは何だ??
 
 
 
何か白い紙のようだが、何であそこにあんなにあるのだろう・・。
 
 
 
ああ、これは紙の人型ではないのか??
 
 
 
ああ、この人型で霊を弔っていたのか・・。依代だ。
 
 
 
うーん、何と書いてあるんだろう。全く読めない。
 
 
 
丘に登る途中に見たお墓に寄ってみる。
 
 
 
ああ、道端のお墓。これも又日本流だ。