ちゃおチャオブログ

日々の連続

インド世界遺産の旅(7)世界遺産「レッド・フォート」(ラールキラー)から「インド門」へ。

ツアー客はバスを降りて、「レッド・フォート」の観光に向かう。
 
 
 
ああ、赤砂岩で出来た城壁が前に立っている。
 
 
 
ムガール帝国、シャージャハーンがデリー進出の足場としてこの城を築いた。
 
 
 
記念写真を1枚。
 
 
 
日本の城とは違って、西洋的な城壁だ。
 
 
 
 
 
今回の阪急トラピックスのツアーは、7月4日出発で8日朝帰国の4泊5日の日程であるが、4日は昼過ぎに成田を出て、8時間40分の飛行後、夜デリーのホテルにチェックインし、最後の8日は前日の7日夜の飛行機で、機中泊となり、従って実質的な観光は5,6,7日の正味3日間。この3日の間に3か所の都市合計7か所の世界遺産を回り、都合680キロをバスで走破するコースだから、かなりハードな日程である。

従って今朝も早々とホテルを出発し、デリー市内にある最初の世界遺産「レッド・フォート」へ来たのは良いが、実際の観光は10分程度で「赤い城壁」を眺めただけで、次の世界遺産「フマユーン廟」へ向かう日程となっている。バスを降りて、城内を歩いたは良いが、時間はゆっくりできず、殆どその城壁を内側から見ただけで終わった。

しかし、日本語の巧みなガイドの説明によれば、この城は、今から400年程前、北部インドを支配したムガール帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンにより建設されたものであり、この当時ムガール帝国は最大の版図を誇り、一番国が富んでいたとのことである。この同じ皇帝によりアグラに「タージマハル」が建設されている。この時のガイド氏の説明で、「ムガール」とは「モンゴル」の訛ったもので、この帝国の歴代の皇帝は「モンゴル系、トルコ系」だった、とは初めて知ることであった。

赤砂岩で造られた全体がえんじ色をした場内を一巡し、再びバスに乗って、次の国際遺産に向かうが、その途中、インド門の前を通過する。インドを代表する凱旋門。しかしここには停車せず、そのまま通り過ぎただけだった。今回の旅行は余りにもせわしなかったので、この3か月後、今度は一人でインド旅行をしたが、その時は、ゆっくりこの周辺を観光できた。しかしこの時はカメラを盗まれたりして、最悪の旅行で、その時の旅行は別途「最悪のインド旅行記」で伝えたい。
 
 
 
 
ほんの短い時間の城内観光を終え、次の世界遺産へ向かう。バスの中からみた街の様子。
 
 
 
ああ、前方にインド門が見えて来た。
 
 
 
ボンベイ門と並び、インドを象徴する凱旋門だ。
 
 
 
45年前来た時は、この門は見なかった。今日始めて見る凱旋門
 
 
 
ああ、これはアグラ門だ。ここからアグラまでのアグラ街道が始まる。