ちゃおチャオブログ

日々の連続

ルソン山紀行(6)馬車に乗ってのマニラ旧市街地観光。

愛想の良い御者に揺られ、マニラ旧市街を遊覧する。
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今度こそこれは博物館のようだ。
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スペインの影響か、重厚な装飾性の高い建物だ。
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博物館の前には若者が集まって来ている。これからどこか夜の街へ行くのだろうか。
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ここは又シックな建物である。
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何か、説明書きがあるが・・
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この「ルソン山紀行」、ほぼ1年振りに昨日から再開しているが、去年までの当初のタイトル名は「ルソン山紀行・天空への道」だった。それは余り旅行者も行かないようなルソン島北部の山岳地帯、山奥の集落まで旅をし、それは恰も空の上に上るような感じの旅であり、帰国間もない頃、そのイメージが鮮明だった為「天空への道」と名付けたが、1年経った今、その感動もやや薄れ、長ッたらしい「天空」を省いて、今回からは単に「ルソン山紀行」とした。

丁度1年前の今頃、気立ての良さそうなフィリピン男、俗に言うフィリピーノだが、半分は口車に乗せられ、馬車に揺られてロハス大通りを往復したが、更にサービス精神旺盛に旧市街も案内してくれると言う。まあ、馬車に揺られての市内観光もまんざらでもなく、言われるままに乗り続けたが、後でこの男が豹変し、送り狼ならぬ追剥に変身するとは、この時点では露も想像できなかった。単純で愉快ないつものフィリピーノとばかり思っていた。

大マニラは大きく分けて3つの地区に分けられていて、中心部のエルミタ・マラテ、周辺のパサイ、マカテイ、となっているが、更にチャイナタウンを分けて4地区に区分けすることも出来るが、このロハス大通りは、将に市の中心部、エルミタ地区にあり、ここには各行政機関や旧市街なども含まれている。

約100年前の米西戦争で、米国がスペインからこの島嶼国家を分捕るまで、約300年間に亘ってこの島嶼はスペインの植民地であった。この間、白人種のスペイン人と現地タガログとの混血が進み、この国には目を瞠るような白色系美人も多いが、宗主国が米国に代わって以降も、現実にこの島嶼を支配していたのは、100数家のスペイン系の大家族であり、その縁に連なる人々であった。

今馬車は旧市街地をゆっくりと進んでいる。交差点の信号に従って、赤になればそこに一旦停止し、信号が変るのを待つ。車や人が目の下を通り過ぎて行く。痛快というか、気分爽快と言うか、いわば一種の殿様になったような気分も味わえる。旧市街にはそうしたスペイン系の装飾性の高い、華麗な建物が幾つか並んでいる。先刻はマニラ大聖堂も見た。勿論、カソリックのフィリピンに於ける大本山だ。御者は風貌からしてもどこから見てもスペイン系とは思えないが、こうした前世期のスペイン色の濃い遺物を得々として説明している。恰も自分達の先祖がこうした立派な建物を建築したかのごとく。



更に馬車は遠方へ進んでいく。
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これ等も皆スペイン統治時代の建物か・・
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アールデコ風の窓の庇も優しい。
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近代的な米国風のビルもある。丸ビルをみているようだ。
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色々と説明書きの看板が出ていて、ツーリストに優しい。これはアメリカ流儀なのか・・。
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このまま馬車はどこまで行くつもりだろう・・。少し心配になてきた。
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