ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスと俳句(5)モラエス通りと瑞巌寺。

ホテルの前の大通りを渡った先の住宅地に「モラエス通り」はある。
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モラエスが亡くなった昭和の初め頃には貧しげな通りだったが、今は、モダンな住宅が立ち並んでいる。
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通りの入り口には、大きな徳島グランドホテルが建っている。
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通りの入り口付近に新町小学校がり、正門前にモラエス像が建っている。
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ポルトガル人領事であり、著名な作家でもあった。
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平成10年、彼の業績を称えた碑文が刻まれている。
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予約したホテルは「東横イン眉山山口」で、眉山の直ぐ下にあり、阿波踊り会館からも数分の近い場所にある。ホテルの前の大通りを渡った先の住宅地の中には、嘗てモラエスが住んでいた長屋を記念して、「モラエス通り」と名付けられている。又、その近くの新町小学校にはモラエスの記念像も建てられている。ホテルに荷物を預け、早速散歩に出ることにした。

モラエスポルトガル領事職を辞め、この町に移り住んだのは、病状の妻ヨネの希望を適え、この町で最後の見取りをすることだった。ヨネ亡き後も引き続き住み続けたのは、彼女の霊を弔うためでもあった。モラエスは母国ポルトガル以上にこの国日本を愛し、徳島の町を愛し、それ以上に日本人妻、女性を愛した。ヨネ亡き後、ポルトガル本国に戻ると言う選択肢は彼の中にはなかった。

「モラエス通り」は、今はごく普通の住宅地になっている。どの家も比較的新しく、戦前の古めかしい建物はない。車2台が漸くすれ違えるような狭い道路。多分、この道路幅だけが昔の面影を留めているのだろう。いや、500-600m程の道路の突当りが山裾にかかっている。眉山の山裾だ。住宅は皆新しく、古めかしい長屋などはないが、この道路幅と正面の山の端は昔のままだろう。

妻ヨネを亡くし、その後後妻として妻にしたヨネの姪の小春も早くに亡くし、その後は長い間、彼は死ぬまでの10数年、この町に暮らし、とぼとぼとこの通りを歩いていたのだ。臭いを感ずることは出来ないが、何か、空気のようなものを感ずることもできそうだ。通りの中程にある古刹「瑞巌寺」の境内に入ると、いよいよその感を強くした。彼と妻ヨネ、小春が一緒に見たであろう石碑、古木、庭。

< 夏の午後 人影もなし 旧居跡 >

< 緑陰に 巨木仰ぐや 古き寺 >




通りの奥まった場所、山懐に古刹の瑞巌寺がある。
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境内の緑陰が涼しげだ。モラエスも散歩に来ていたに違いない。
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ああ、巨石、阿波石も奉納されている。
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夏の昼下がり、通りも境内も人影が絶えている。
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真夏の消夏法には最適ではあるが・・。
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楠の古木、モラエスも仰ぎ見たに違いない。

< 緑陰に 巨木仰げり 古き寺 >
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