レストハウス窓越しに市内を眺める。
レストハウス横の展望台には「錠前」コーナーもあった。白鳳が、徳島の女性、紗代子さんと結婚していたとは、初めて知った。
併せて、モラエスの事績も紹介されていた。
ロープウエイ眉山山頂駅の横には凡そ100坪ほどの展望台があって、真下に徳島の町と吉野川、その先の紀伊水道を眺めることができる。277m直下の景色だから、雄大だ。ただ残念なのは、ロープウエイの運行が間遠で、幾ら待っていても次のロープウエイが上がって来ることを見ることは出来ない。一昨年シンガポールへ行ったが、市側と直ぐ先のメントーサ島を結ぶロープウエイは、ほんと、引っ切り無しに発着していて、まるで空中に丸い花が浮かんでいるように見えたが、ここ徳島には、そうしたロマンは無いが、代わりに自然の景観を存分に楽しめた。
展望台の横には、「錠前」コーナーがある。これは最初、どこの国で始められたのか知らないが、先年中国五台山や泰山に行った時、あちこちの寺に、沢山の錠前がぶら下がっている一角があり、聞くところによれば、それは恋人同士が、お互いを「ロック」して、永遠に離れ離れにならない誓い、のシンボルとのことであり、以前奈良の大台ケ原へ行った際に、浜名湖の道の駅で同様の「錠前」コーナーを見て、日本にもそうした流行が伝播してきているのを知った。
この眉山展望台の錠前コーナーは白鳳関と奥さんの紗代子さんとの出会いを記念したもので、ここへ来るまで、大鵬の奥さんが日本人とは知らなかった。何でも奥さんは、徳島の森林王のお嬢さんで、その森林王が白鳳の後援会長をしているとのことで、その縁で夫婦になったそうである。当方が「錠前」コーナーを珍しそうに眺めていたら、地元の人がそんな話を紹介してくれた。白鳳の奥さんが日本人と聞いて、これからは、彼にも少しは親しみが持てるようになるかも知れない。
この山頂駅の少し先に2階建てのモラエス館がある。最初に来た時に一度入館し、2回目の時はパスしたが、それは、中の展示物が貧弱で、一度見たらもう十分、と言った感じのものだったが、今回が多分、ここへ来る最後になるだろうと思うと、もう一度入りたく思った。しかし館は今年の3月以降休館中とのこと。中の展示物は徳島駅前のそごうデパート内と、徳島大学に分散して展示してあるとの案内であったが、この館自体が、将来的に建て替えるのか、取り壊されるのか、方向性が示されていなかった。ここも又市の予算等の問題で、紛糾しているのかも知れない。ラフカデオ・ハーンと違って全国レベルでの知名度は高くなく、モラエスを訪ね、この山の上までやってくる観光客など稀有に違いない。将来的には、矢張り取り壊されるに違いない。明治も大正も、昭和すらももう既に遠くなりつつある。ましてや戦前の昭和など、遠い過去の物語だ。閉鎖中のモラエス館からは、そんな寂寥感が漂ってきていた。
このモラエス館から又更に少し先に、比較的新しいパゴダが建っている。以前来た時は気がつなかったが、案内を見ると、太平洋戦争で亡くなった英霊を奉るパゴダとして建立されたものであり、中には、当時のビルマから贈られた仏舎利が収められているとのことである。今日は偶々休刊日で、中には入れなかったが、この建物自体は平成21年に再建されたもので、今から6年前の事。尚真新しい光沢を放っていた。
展望台の横には、「錠前」コーナーがある。これは最初、どこの国で始められたのか知らないが、先年中国五台山や泰山に行った時、あちこちの寺に、沢山の錠前がぶら下がっている一角があり、聞くところによれば、それは恋人同士が、お互いを「ロック」して、永遠に離れ離れにならない誓い、のシンボルとのことであり、以前奈良の大台ケ原へ行った際に、浜名湖の道の駅で同様の「錠前」コーナーを見て、日本にもそうした流行が伝播してきているのを知った。
この眉山展望台の錠前コーナーは白鳳関と奥さんの紗代子さんとの出会いを記念したもので、ここへ来るまで、大鵬の奥さんが日本人とは知らなかった。何でも奥さんは、徳島の森林王のお嬢さんで、その森林王が白鳳の後援会長をしているとのことで、その縁で夫婦になったそうである。当方が「錠前」コーナーを珍しそうに眺めていたら、地元の人がそんな話を紹介してくれた。白鳳の奥さんが日本人と聞いて、これからは、彼にも少しは親しみが持てるようになるかも知れない。
この山頂駅の少し先に2階建てのモラエス館がある。最初に来た時に一度入館し、2回目の時はパスしたが、それは、中の展示物が貧弱で、一度見たらもう十分、と言った感じのものだったが、今回が多分、ここへ来る最後になるだろうと思うと、もう一度入りたく思った。しかし館は今年の3月以降休館中とのこと。中の展示物は徳島駅前のそごうデパート内と、徳島大学に分散して展示してあるとの案内であったが、この館自体が、将来的に建て替えるのか、取り壊されるのか、方向性が示されていなかった。ここも又市の予算等の問題で、紛糾しているのかも知れない。ラフカデオ・ハーンと違って全国レベルでの知名度は高くなく、モラエスを訪ね、この山の上までやってくる観光客など稀有に違いない。将来的には、矢張り取り壊されるに違いない。明治も大正も、昭和すらももう既に遠くなりつつある。ましてや戦前の昭和など、遠い過去の物語だ。閉鎖中のモラエス館からは、そんな寂寥感が漂ってきていた。
このモラエス館から又更に少し先に、比較的新しいパゴダが建っている。以前来た時は気がつなかったが、案内を見ると、太平洋戦争で亡くなった英霊を奉るパゴダとして建立されたものであり、中には、当時のビルマから贈られた仏舎利が収められているとのことである。今日は偶々休刊日で、中には入れなかったが、この建物自体は平成21年に再建されたもので、今から6年前の事。尚真新しい光沢を放っていた。
この2階建ての建物が山頂の「モラエス館」。
残念ながら今年の3月以来、休館中だった。
その先のパゴダ。正式名は「パゴダ平和記念塔」と呼ばれている。
パゴダの前からの市内の眺め。
町は実際、二つの川に挟まれている。
一等三角点「眉山」。標高は277mと書いてある。