最後の昼食担々麺に満足し、店を出る。
市の中心部だけあって、小奇麗なビルが建ち並ぶ。
モバイルの進んでいる国、アンテナ等も立ち並ぶ。
近くにはシェラトンホテルの高層ビルなどもある。
いやー、東京のシェラトンよりも立派だ。
成都で有名な担々麺総本店で少し早目の昼食を食べ、空港へ向かった。空港名は、日本でも東京成田空港とか、大阪伊丹空港等そこの地名を付けている。中国も同じで、上海浦東空港とか虹橋空港と呼ばれて、地名で表記されている。ここ成都は「双流国際空港」という名前で、旅行中にはこの名前の背景が分からなかったが、帰国後に旅行記ブログを載せるに際し、アーロンさんより、この空港は「双流県」に所在しているので、このような名前がついている、とのご教示があった。そうした背景を知らなかった自分には、何かこの空港が、双方の文化交流の地としてのモダンな名前を付けたのかと思っていたが、そうではなく、矢張り、日本や他の都市同様にオーソドックスな地名表示だった。
レストランのある場所は市の中心部。周辺には高層ビルも建っていて、モダンな感じだ。こうした街並みを見るのももうこれで最後になる。僅かに2泊3日ではあったが、想像以上に多くのものが吸収できた。良い旅行だった。皆マイクロバスに乗り込み、錦江に架かるアーチ形の有名な橋、万福橋を渡り、高速に入る。古い駅舎の周辺は鉄路が交差し、古い建物やビルが取り壊され、広大な面積が再開発の途上だ。この辺り一面が再開発された後には、この地区も又見違えるような景観に変わっているかも知れない。高速道は空港まで一本で結ばれているのだが、何か時間調整の為なのか、途中から高速道を降りて一般道を走行する。都市部と郊外の貧富の差とまでは言えないが、市の中心部の超近代的な景観と比べると、矢張り郊外は随分と見劣りがする。古い団地などもまだRenewalされずに、古めかしく建っている。しかし、いずれ経済の余福はこうした地区にも波及して行くだろう。今の処中国は望まれるような改革革新の進歩的な発展を遂げつつある。
空港には大分早目に着いて、出発までにはまだ3時間以上も間がある。黄さんにしてもドライバーにしても、早く解放されたいに違いない。今日我々を見送れば、明日は又別の団体20数名を引き連れ、2泊3日の同じ行程の繰り返し。いや待てよ、明日ではなく、今日我々が乗る飛行機でやってくる客をもう今日の午後から引き連れて、3日前我々が泊まったホテル向陽大厦へ案内するのかも知れない。本当に休む間もない繰り返しの毎日だ。日本に来たことはないという黄さん、素晴らしく日本語が上手だったが、ご苦労様。3日間、名残り惜しいが別れの時が来た。人は出会い、いずれは別れる。人の出会いと別れ。72時間、良い人に巡り合えてよかった。旅も楽しいものになった。
レストランのある場所は市の中心部。周辺には高層ビルも建っていて、モダンな感じだ。こうした街並みを見るのももうこれで最後になる。僅かに2泊3日ではあったが、想像以上に多くのものが吸収できた。良い旅行だった。皆マイクロバスに乗り込み、錦江に架かるアーチ形の有名な橋、万福橋を渡り、高速に入る。古い駅舎の周辺は鉄路が交差し、古い建物やビルが取り壊され、広大な面積が再開発の途上だ。この辺り一面が再開発された後には、この地区も又見違えるような景観に変わっているかも知れない。高速道は空港まで一本で結ばれているのだが、何か時間調整の為なのか、途中から高速道を降りて一般道を走行する。都市部と郊外の貧富の差とまでは言えないが、市の中心部の超近代的な景観と比べると、矢張り郊外は随分と見劣りがする。古い団地などもまだRenewalされずに、古めかしく建っている。しかし、いずれ経済の余福はこうした地区にも波及して行くだろう。今の処中国は望まれるような改革革新の進歩的な発展を遂げつつある。
空港には大分早目に着いて、出発までにはまだ3時間以上も間がある。黄さんにしてもドライバーにしても、早く解放されたいに違いない。今日我々を見送れば、明日は又別の団体20数名を引き連れ、2泊3日の同じ行程の繰り返し。いや待てよ、明日ではなく、今日我々が乗る飛行機でやってくる客をもう今日の午後から引き連れて、3日前我々が泊まったホテル向陽大厦へ案内するのかも知れない。本当に休む間もない繰り返しの毎日だ。日本に来たことはないという黄さん、素晴らしく日本語が上手だったが、ご苦労様。3日間、名残り惜しいが別れの時が来た。人は出会い、いずれは別れる。人の出会いと別れ。72時間、良い人に巡り合えてよかった。旅も楽しいものになった。
マイクロは途中で高速道を降り、一般道を走って空港へ向かう。
一般道をゆっくり走ってきたが、出発までにはまだ大分時間が余っていた。
この空港前も今大々的な工事が行われている。直ぐにも地下鉄が開通し、大きなビルが立ち並ぶか・・。10数年前の上海駅の裏側を思い出す。
空車のタクシーだ。中国のタクシーもメーター制になっていて、以前のような雲助はいない。
又再度成都へ来ることがあるだろうか・・。もし来れるとすれば、この街の更なる発展を目にすることもできるが・・