ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(108)アルカサールの王宮内部へ。

アルカサールの外壁の上の通路の下は、王宮の間、幾つかの小部屋に分かれている。
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王族の間ではあるが比較的質素だ。
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財宝や貴重品は皆持ち去られたのか・・。
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タペストリーもそれ程目を引くものではないが、幾何学的模様は、イスラムの遺品か・・
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何かのオーナメントが飾ってある。
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ブログの知人、悠久のボヘミアンさんの解説によれば、Alcazarとはスペイン語イスラム語の両様の意味があって、スペイン語では「城」を意味し、アラビア語では「王宮若しくは砦」を意味するそうである。彼は若い頃世界中を旅行し、ここスペインやコルドバへも何回も来ていて、当方ブログの写真を見て、その当時の記憶を懐かしく思い出すそうである。今朝見た広場の騎馬の銅像なども、正式名は「エルグランカピタン(El Grand Capitan)」、「大提督」と言った尊称で、「ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバ」と言うのが本名のようだ。コルドバの英雄、コルドバイスラム勢力から解放させたこの町の英雄だったのだ。

さてそうした500年以上も前のモスレムとクリスチャンとの戦いの跡を残す城塞、城壁の見学から階段を下って階下の王宮の間に行く。メスキータが幅広の城壁を利用して、その内部空間に王族の間や嘗てのモスク、その後の大聖堂を造ったようにこのアルカサールも同じように、幅の厚い城壁の内部は部屋になっている。外敵により外壁が破られれば、一蓮托生、その時点で王家も王族も一巻のお終い、と言ったような設計思想だ。ただ中世の西欧中東の歴史は、アジアや蒙古におけるような皆殺しの発想は少なく、外交術によって外壁が打ち破られ、一族郎党が皆殺しに逢う前に外交的手段によって回避してきたのだ。だから、未だにこのような1000年も前の強固な外壁が破壊もされずに現在に残されている、ともいえるのだ。

ここは王宮的な華美華麗な造りよりかむしろ戦いを主眼に置いた実用的な間に思える。どちらと言うと質素だ、ここで日々の生活を営むのではなく、単にここは休憩所のよな感じの部屋だ。主たる生活の場は、この先のメスキータで、ここは外の庭苑で行われる何かの宴、それは酒池肉林のような野外宴会もあったかもしれないが、そうした宴の際の一時的な休みの場のようにも思えた。部屋には幾つか飾りや装飾品もあったが、それ程目を引くものは見当たらなかった。



この地からモスレムを追い払ったコルドバの大提督、フェルナンデス家の紋章か・・。
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ローマ時代の遺品のようでもあるが・・。
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これはいつの頃の絵画だろう・・。ローマ以前か・・
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実に整った、アラビアとローマの融合されたような作品だ。
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さて王宮の間を出て、外の庭苑を見に行くことにした。
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