ちゃおチャオブログ

日々の連続

イギリスの3日間(49)カティサークを間近で眺め、地下鉄駅に戻る。

このテームズ川には対岸と地下道で結ばれていて、このドーム屋根の建物が出入り口となっている。随分昔、関門海峡の地下道を歩いて渡ったが、ここでも歩こうかとも思ったが、そんな若い頃の酔狂はなく、写真だけ撮って引き返すことにした。
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当時の最高傑作の帆船カティサーク。今は陸揚げされ、船体下部は土産店、資料館などになっている。
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船首に飾ってある筈のオーナメント、髪の毛を鷲掴みにしたカティサーク像を見ることはできなかった。
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カティサークを一巡し、元来た地下鉄駅に戻ることにした。
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2階建てバスの前方席に陣取り、周辺の景色を撮影。グリニッジは古い河港の街だ。
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カティサークと聞いて、まず最初に思い出すのは、スコッチウイスキーで、帆船マークのラベルが貼られたボトルが懐かしい。本来は、今ここに展示されている帆船の船名なのだが、今ではウイスキーの方が世界的にも有名になっている。この帆船は当時の高速船。カティサークは快速帆船の代名詞にもなっていた。

幕末の頃、上海ーロンドン間に就航し、Tea Clipperとも呼ばれていた。従来上海からロンドンまで1年以上も掛かっていた紅茶の輸送をこの快速艇で、僅か3-4か月で運ぼうとする画期的な帆船だった。その尖った船首部と、細長くスマートな船体からサーク、Shark、サメを想像させるが、それは洋上を走る海のサメではなく、カティサークというスコットランドの女神の名前だ。

映画タイタニックには、豪華客船タイタニック号の船首部分に海の神ポセイドンが飾られていて、真っすぐ洋上を見つめる海神ポセイドンと、その下で恋を囁くデカプリオと若きヒロインが最初のシーンに出てきて、実に印象的だったが、この帆船カティサーク号にも船首部分に船の守り神カティサークが祀られている。そのカティサーク神を間近で見る為に船首部分に近寄って眺めたが、その像は見当たらない。数年前、この船が改装中に失火で燃えてしまい、今見える船体はその後に復元されたものだ。その時の火災で燃え落ちたのかも知れない・・。

この帆船が活躍したのは幕末の時代で、かなりの人数の薩長の志士が香港を拠点とするシフやジャーディンのユダヤ資本家の援助によって上海経由英国へ留学したが、彼等はこのTea Clipperには乗船しなかっただろう。当時、ペリー艦隊に見られるように、海上の世界でも既に蒸気船が出始めていたが、この時代尚帆船が幅を利かせていて、勝海舟等神戸操船所で帆船の操船術を教わっていた。だから幕末の志士もこのカティサークに乗らなかったとしても、上海やロンドン、サザンプトンで、この最高に早い帆船については見聞きしていたに違いない。多分憧れの的だった。

そうした蒸気船や鋼鉄船が台頭しつつあった時代、この船の命運も一時の栄光を保ちえず、終いには中古船としてポルトガルに売却されることになったが、驚くことに第一次大戦後も尚現役船として、ポルトガルーアフリカ、アンゴラ間を就航していた。しかし、その後英国人実業家によって買い戻され、戦後、今あるこの場所に陸揚げされ、観光に供されることとなった。総トン数は1000トン弱、全長約100m弱、全幅約10m、マストの高さ約15mは、東京水産大学構内に保管されている帆船日本丸と比べても引けを取るものでなく、そのスマートな船体は今にも動き出しそうなイメージであった。

入船料を支払って艦内に入ることも出来るが、10数年前に一度は焼失し、その後に再建造された船に乗船するのは、それ程の魅力も感じず、まだ尚ロンドン市内を見て置きたい場所もあり、帆船下部に半地下様に作られた土産ショップを覗いただけで、再び2階建てバスに乗って、地下鉄駅に戻ることにした。



再び海洋博物館の前を通過する。これは海軍関連の施設だ。
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テームズ川に面した古い工場も見える。ドッグかも知れない。
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町の郵便局と小口金融。日本で言う郵貯のようなものか・・。
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地下鉄駅前の再開発地区にやってきた。
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間もなく地下鉄駅、North Greenwich(Emirates)だ。
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