ちゃおチャオブログ

日々の連続

The Third Eye カトマンズへの道(26)The Third Eye、第三の目。

スワヤンブナート。カトマンズ市内を一望した後、改めて見直す。
イメージ 1


巨大な仏塔、ストーバだ。
イメージ 2


第三の目を持っている!
イメージ 3


佛の三つの目で見られたら、何も隠し事が出来ない。
イメージ 4




水木しげるの漫画、一つ目小僧ではないが、顔の中に目が一つしかなかったら、お化けであって、度肝を抜かされる。突然変異で一つ目の子供が生まれたとの話は聞いていないし、そもそも人体学上一つ目の子供が生まれると言うことはあり得ない。だから突然目の前に一つ目の子供が現れることはないし、度肝や腰も抜かされることもない。同じように三つ目。本来二つ目しか持っていない人間に目が3つある。もしも目の前に三つ目の人間が現れたら、一つ目小僧と出会った時同様に大きな衝撃を受けるだろう。だがそれは一つ目同様、三つ目人間は存在しないのだから、そういう衝撃的なことは起こりえない。

スワヤンブナート寺院の長い参詣道を登り、漸く登り詰めたと思った矢先チケットブースの係員に呼び止められ、拝観チケットを買った後、後ろを振り向いたら、カトマンズ市内が一望に見渡され、そのパノラミックビューに見とれてしまったが、改めて体を元に戻し、正面を見た処、な、な、何と! この仏塔、この国ではパゴダと言うのかチェデイというのか、分からないが、その仏塔の佛には目が三つあるではないか! ギョッとした。石段を登ってくる途中、時々この仏塔が見えてきて、目の間の眉間の所に、何か黒いほくろのようなものが見えていたが、それが第三の目とは!

実際インドの街中を歩いていると、目と目の間、眉間の上の辺りの額に赤とか黒の丸印をつけている女性が多いが、それはヒンズー教徒の宗教的な儀式かと思って見ていたが、それは何とも言えない神秘的な装いで、つい視線はその黒点の方に行ってしまった。この仏塔ストーバはヒンズー教ではなく、仏教と思うのだが、インド文化圏の中では、額にこうした第三の目を印すのが一つの文化になっているのかも知れない。考えてみればお釈迦さんは仏教の祖師であって、この国ネパールの生まれだが、インド同様、この国でも仏教徒よりもヒンズー教徒の方が圧倒的に多数派で、国教にもなっている。この巨大なストーバが仏教のものか、ヒンズー教のものか分からなく、ガイドブックを開いて確認した処、矢張り仏教で間違いなかった。


第三の目を持つ仏塔、ストーバ。何もかも、心の裏側までも見透かされそうな3つの目で睨まれたら、悪いことも隠し事も何もかもできないだろう。そもそも仏の前では隠し事はできない。仏塔の前に進み、しげしげ見上げる。大きな仏塔。ドイ?テープやポロブドールに匹敵するほどの大きな仏塔だ。ガイドブックには大日如来毘盧遮那仏を祀る仏塔と出ている。毘盧遮那仏と言ったら奈良の大仏さんと同じで、真言密教のご本尊だ。ネパール人を真似て、ネパール人程は篤くはないがお参りする。自分の行状、世の中の平和に対し。・・嘘は言えない。



全く巨大な仏塔だ。
イメージ 5


仏塔の前で1枚記念写真を撮る。
イメージ 6


ストーバを守る守護神。神の使いサルもいる。
イメージ 7


イメージ 8