ちゃおチャオブログ

日々の連続

能登の春(42)能登島を回り、七尾へ。

能登島へ渡るツインブリッジの手前には道の駅があって、見晴らし台からの橋の眺めは抜群だ。
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道の駅にある能登島観光案内。ここでも桜が満開だが、見に来ている車もいない。
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左が能登島。前方が七尾の海。
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もう一つの連絡橋、能登大橋を渡った先にも奇麗な公園が整備されている。
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能登島はまだ子供が小さい頃の40年程前一度来たことがある。その時は1週間程のドライブ旅行で、先ずは最初に高遠城を見て、開田高原の悪路を走り抜けて駒ケ根に出て、駒ケ岳千畳敷カールのロープウェイに向かったが、麓駅までの山岳一本道は大渋滞で一向に前に進まず、引き返して高山に向かった。高山で朝市を見て、それから富山に出て、親知らず子知らずを走って和倉温泉に出て、そこで一泊し、次の日、この能登島に渡ったのだ。

その時のバカ長い洋上橋は実に印象的だったが、今見ているこの橋、これから島に渡ろうとするアーチ形のブリッジは、以前は無かったものだ。島に渡る橋が一本だと、去年、関西空港の連絡橋破損事故で空港が機能マヒに陥ったように、その一本、能登連絡橋が台風か地震かで壊れた場合、島の住民の生活は途端に困窮する。そうした危険性を排除するために新たに1本橋が造られたと思うのだが、何とそれは広域農業行政の一環、以前阿蘇地方のあちこちで見た広域農道の延長線として橋が造られたのだ。国土交通省には執行予算が限られていて、農政保護の名目で資金潤沢な農水省が、その役割を担ったのだ。

そのツインブリッジの手前、半島側の高台に道の駅があって、その超大橋を俯瞰できるのだが、この橋自体通行量も少なく、道の駅には駐車車両もなく、店舗も閉まっていた。木組みの見晴らし台があって、その上に登って、橋と海峡を眺めていたら、漸く1台車がやってきて、運転手はトイレの方に駆け込んでいった。まあ、この場所はトイレ休憩には打ってつけの場所だろう。

橋の手前、又橋を渡った先の能登島でも道路の周辺には農場や広域の耕作地が目につき、この辺りには、大規模農家も多いようだ。牛の姿こそ見えなかったが、道路から見えない辺りに能登牛の放牧場もあるかも知れない。40年前の能登島についての記憶は殆ど残ってなく、もう一本の連絡橋と、前日泊った和倉の旅館と、その後に向かった金沢、兼六園公園での記憶は尚鮮明に残っているが、一体、この能登島へは何の目的でやってきたのかさえ覚えていない。

以前にもあったかと思うが、この島には水族館とガラス工房などもあり、道路のあちこちにこの2か所の戦前と、道路標識も出ているが、当方、水族館に寄る時間もなく、島内の広域農道を走り抜けて、元からあった連絡橋、能登大橋に向かった。この橋の近辺に来て、漸く、どことなく見覚えのある周辺の形式と思えたが、自分の錯覚かも知れない。橋を渡った先、半島側に小広い芝生公園があって、一休みする。公園から長い能都大橋を眺め、矢張り、こんな感じだったかと・・。又、海峡と七尾の海を眺め、何かこんな感じだったかと・・。

道路公団の管理地なのか、随分奇麗に手入れされている公園で、桜も何本があって、満開の花を咲かせているが、矢張りこの公園にもやってくる人は少なく、花だけ勝手に咲いている。橋を渡った左手に和倉の温泉街があり、左手に向かうと七尾の市街地に出る。和倉も今は七尾市の一部になっている。賑やかな七尾の市街地を抜けて、港に出る。七尾港も昔から有名で、日本海航路の拠点港だ。ここのマルシェを少し覗いてみよう。



能登大橋。これも又奇麗なシェイプだ。
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前方に七尾、富山の海も見える。
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ここでも桜が咲いていたが、見に来る人もいない。
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殆ど人のいない静かな公園。ここからは和倉も直ぐ近くだが、温泉客も遊びに来ていない。
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