ちゃおチャオブログ

日々の連続

ビルマ・マンダレー特急旅行(32)マンダレー着。

ヤンゴンを出てから約2時間、夜の街道を高速で走ってきたバスは、途中のドライブインで休憩する。
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低開発国のミャンマーと思えないは程の大きくて、派手派手しいドライブインだ。
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人々はドライブインに入って行く。
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店内はかなり混んでいる。トイレも綺麗だった。
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ヤンゴンの北、空港に近い場所にある広大なバスターミナルのその又幅広の砂埃の舞う道路に夕日が落ちて、辺りの喧騒も漸く静かになった頃、ほぼ満席に近いバスはマンダレーに向け出発した。このターミナル自体既に市街地を外れた場所にあり、ターミナルを出たバスは直ぐにも両側4車線の自動車高規格道路を北に向けまっしぐらに走って行く。

道路はモダンな国道で、いずれどこかの国の援助で建設されたものに他ならないが、高規格道路で、バスはフルスピードで北上する。行き交う車両も半分以上が高速バスで、たまに自家用車がすれ違ったりするが、トラック等の貨物車は余り見られない。ミャンマーではまだ物流が発達していない、というか、まだその物流を必要とする経済規模に達してなく、基本的には地産地消の経済なのかも知れない。

昨日、今日とヤンゴン市内で中国の影を探したが、中国のプレゼンスを思わせるような事象はなく、却って、来月から始まるJapan Festibalの大きな広告看板があちこちに見えたが、この高規格道路に関しては日本ではなく中国の援助により造営されたものだろう。中国としては自国のシーレーンの問題もあり、ヤンゴン沖に大きな港湾施設を作り、原油をそこから雲南を通り、直接中国にパイプ輸送しようとする一環で、こうした道路も作られているに違いない。

道路の両側には人家はほとんどなく、真っ暗な平原の中にぽつん、ポツンと遠方の電気の明かりを見る位の淋しさで、昔の日本軍敗残兵もこうした淋しい夜の街道を死にもの狂いで逃げ惑っていたかと思おうと、彼等の心情やいかばかりか・・。

ヤンゴンを出てからほぼ2時間、時計が10時になる頃、大きな駐車スペースを備えたドライブインに到着する。凄い大きな敷地で、東名の海老名パーキングエリア程の広さがあるが、止まっているバスは10台程度で、後、乗用車が数十台、貨物に至っては、全く見当たらない。何十年か先のモータリゼーションを見越して、こんな大きな駐車場を作ったに違いないが、こうした発想からしても中国の造営だろう。

このドライブインで30分程休憩し、人々はそれぞれ夜食を食べたりしているが、当方、お腹がそれ程空いている訳ではなく、小さなリンゴを1個買って腹の足しにした。それからバスは更に北上を続け、当方もいつの間にか眠りに着いたのか、目が覚めたのは、まだ夜明け前のマンダレー手前の近郊で、何人かの乗客がそれぞれの停留所で数人ずつ下りて行くざわめきで目が覚めた。バスは郊外を約30分程走り、マンダレーのバスターミナルに到着したが、まだ5時前の未明で、辺りは暗かったが、その薄暗い中で人々は大声で客引きをし、あちこち右往左往していて、実に元気で活気ある街と思えた。
 
 
 
 
まだ暗い内にマンダレーに到着。構内の食堂で簡単な朝食を食べる。
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考えてみたら時間の関係で、今日中にヤンゴンへとんぼ返りしないと、バンコクへ戻る飛行機に間に合わない。帰りのチケットをここで買っておく。
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漸く朝日が上がってきた。
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今日1日、マンダレーのフルの観光が始まる。
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