ちゃおチャオブログ

日々の連続

補陀落渡海への旅(60)寧波の「鼓楼」。

寧波鼓楼の前の広場にやってきた。
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ああ、これは立派な湖楼だ。
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3層の重厚な建物だ。
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しかも城壁の上に立っていて、下が城門になっている。
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最上階の塔屋まで入れたら全部で5層か・・。一番上に今の時計が掛っている!
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城門を潜り旧市街へ入ってい見る。
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寧波は古い町で、昔から日本人にも馴染みのある名前だ、「寧波」と書いて「ニンポー」と読む。中国語では「P」と「B」が似たような発音であり、中国表記だと「Ningbo」と書く。最近の若い日本人はこの「ニンポー」という読み方を知らず、「ネイハ」と読んでいるが、正しくは「ニンポー」である。

随分古くから開けている地で、ここと隣に隣接する紹興は、一緒に並び称せられて、春秋戦国時代の「越」の国。会稽山の地だ。唐代から「明州」とも呼ばれるようになり、元の時代の2度目の元寇の役の際は、ここの港から、江南軍約10万人が送られた。元がモンゴルに去り、明の時代になって再び明州と呼ばれるようになったが、清の時代になって「寧波」と呼ばれるようになった。ちなみにこの町の近くに温州があるが、これは温州ミカンの原産地で、2年前中国新幹線和諧号がスピードの出し過ぎで、高架線路から落下した場所の近くでもある。

こうした長い歴史のある町で、今目の前にある「鼓楼」も相当古い時代に出来たと思われるが、建設年月日は分からない。鼓楼の脇に中国語で書かれた碑文が置かれているので、それを詳しく読めば創建年月日は分かるだろうが、それを知った処でそれ程意味はないだろう。古い創建で、当時この町が城壁で囲まれていた頃の時代、その城壁の上に3層の建物が建ち、その下の城壁はくり抜かれて城門となっている。大太鼓で時を知らせ、午後6時となると、下の城門が閉ざされ、午前6時の合図の太鼓と共に、城門が開けられた。この構造を見ていると、何百年と続いたそうした城門と時の関係が想像できた。

城門の外側には、先刻見てきた月湖公園、高麗領事部等の周辺部があり、内側は市の中心部となっていた。城門を潜り抜け、旧市街に入ると、ここでも又他の中国の都市同様、大規模な復元工事が行われている。1-2年もしたら、ここも又見事な明の時代の街並みが復元されているかも知れない。城壁と塔屋を入れたら5層になっている巨大な鼓楼を見上げ、この城門を数回往復し、500年前の住民を想像し、又、10年先のこの付近の賑わいを想像し、ホテルに戻ることにした。
 
 
 
城門の横には何か史跡を記載した碑が建っている。
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旧市内は今建設途上。
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2-3年後には又見事な明朝時代の街並みが作られているだろう。
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左右の条里も急ピッチで建設が進む。
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東西南北、今どこもかしこも改装中だ。
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何年か後、又来てみたいものだ。
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城門を抜けて又城外に出て、ホテルに戻る。タクシーが中々掴まらなかった。
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