ちゃおチャオブログ

日々の連続

中国・歴史の旅(95)包公湖にて。

開封博物館を出ると、目の前に大きな湖が広がっている。
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湖の中程には西湖の白堤のような堰堤が作られている。
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白堤同様、大勢の人が堤の上を歩いている。
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いやー、ここでも釣りが盛んだ。 いやー、凄い釣竿の数だ。
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ああ、何かの魚が釣れたようだ。
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開封博物館を出た直ぐの所に大きな湖が広がっている。中国江南地方は水が豊富だから、大都市の中にこうした大きな湖が市内の真ん中にドカンと占めていて、風情もあるし、市民にとっては良い憩いの場ともなっている。嘗てはこの町が戦場になり、黄河の堤を決壊させて、町全体が水没したこともあったが、3000年の歴史を有するこの町に取っては、30万人からの水没者が出たとしても、それは遠い歴史の一駒に過ぎないものとして遠くに押しやられ、今は又北宋上河の賑わいを見せつつある。

この湖、包公湖が当時の水没した名残の湖なのか、それ以前から黄河の水を引き入れて、人造湖としてこの町に存在していたのか、詳しくは知らないが、大きな湖である。日本の町では市中にこのような大きな湖があるのは、見た記憶はない。一周するにも1時間以上はかかるだろう。

湖の傍らに「東京大飯店」という名前のレストランがある。高級そうだ。この町が宋の時代、それまでの�凪亰から東京という地名に変わったのは、以前何かの本で読んで知っていたが、先刻の博物館で改めて記憶を新たにした。「北宋東京繁華」。当時の世界一の大都市の繁栄振りを唯一名前に残している大飯店のようだった。

先刻、博物館を出た直後に湖の中央付近に見えた鏡橋。西湖の白堤に似た感じの石橋だ。湖の畔を散歩しながら、あの端の所に行ってみよう。あの石橋を渡ってみよう。10数年前、杭州を訪問した際、早朝の西湖を散歩し、白堤の石橋を渡ったことを思い出す。中国人の優雅さ、生活の余裕、詩的感受性を思わせる湖と石橋だ。
 
 
 
 
湖の畔には由緒あり気な建物がある。
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東京大飯店。ああ、そうだ、この町は嘗て、「東京」、と呼ばれていたのだ・・
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この湖の「白堤」に近付いてきた。
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ああ、全く白堤と同じ雰囲気だ。
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ああ、この湖は「包公湖」という名前だったのか・・。
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