ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(46)再びの村祭り。

第1サイトの丘の上からジャール平原を眺め、ポーンサワンに戻る途中の集落では、あちこちで、ボール投げの祭りを行っていた。
 
 
 
着飾った男女が光り輝いている。
 
 
 
1年に一度の祭りの日。人々はこの日を待っていた。
 
 
 
子供まで綺麗に着飾って!
 
 
 
今日がこの民族の唯一の娯楽、楽しみだ。
 
 
 
 
 
第1サイトの丘の上から実に牧歌的なジャールの丘陵地帯を眺め、暫し辻政信に思いを致したが、彼も又こうした平和な光景を見て、彼の今までの生き方に愧じたのかも知れない。彼が何の目的でこんなラオスの山奥の、当時であってすれば文化文明とは遠くかけ離れた山の中までやってきたのかは、誰も知らない。ひょっとして誰かに書置きを残しているかも知れないが、仮にあったとしても、公表はされていない。しかし実際にはそんなものは無かったのだろう。だから未だに謎の失踪とされている。

丘の上からこの地を眺め、当方の結論は、彼はこの地を死地と選んだ。死ぬ場所としてこの地にやってきた。自身の贖罪の為に。それがエリート軍人に最後に与えられた自由裁量の判断だった。黙ってこの世から去っていく。自身の判断間違いにより、何万人という同朋軍人を死地に追いやった、彼なりの責任の取り方だった。戦時中にあっては、又戦争が終わってからも彼は一人のパペットマンにしか過ぎなかった。ここへ来て、彼は真の自由人になったのだ。

去り難い気持ちで丘を下り、ポーンサワンの町に戻る。途中の集落では、相変わらず一張羅の衣装を着た娘さん達がそこここに集まってボール投げ遊びをしている。しかし笑い声は聞こえない。この平原には花が消えているのと同様に、笑いも消えてしまっているのか。数百年、千数百年の長い戦乱、混乱、貧困の中に、笑いも花も地上から消えてしまったのか。殆ど、声も出さずに、無心にボールを投げている青年男女を見ていて、愛おしさを感じた。1年に一度の一張羅の衣装。抱きしめてやりたい。幸せになってもらいたい。この平原の村民すべての人に。
 
 
 
 
いやー、可愛いね。
 
 
 
素晴らしい手作りの衣装だ。親の真心が凝縮されている。
 
 
 
ただ単純にボールを投げあうだけ。笑いも動きもそれ程なく、静かな祭りだ。
 
 
 
子の幸せを願うお母さん。
 
 
 
本当に良い思い出になる。純朴で愛らしい。さようなら。幸せなカップルが誕生しますように!