ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(78)勐腊(モーロウ)のホテル「天夾大酒店」にチェックイン。

輪タクシーの運転手、渙さんが案内してくれた市内中心部にある天夾大酒店。
 
 
 
フロント。残念ながら、東京の時間を示す時計はなかった。こんな田舎まで日本人はめったに来ないだろう。
 
 
 
部屋はまあ、清潔だ。
 
 
 
ホテルの裏は大きな市場になっている。
 
 
 
中国南方だけあって果物は豊富だ。
 
 
 
ホテル前の大通りの光景。昼飯を食べようと下に降りたら、渙さんがフロント前で待っていた。
 
 
 
 
 
三輪自転車タクシーの運転手、降りた際に名前を聞いたら、渙(かん)さんと言っていたが、その渙さんが案内してくれたホテルは、ほぼ町の中心部に近い、大通りに面した中クラスのホテルで、名前だけは麗々しく「天夾大酒店」の看板が出ていた。部屋を見せてもらうと、まずまずの清潔さで問題はないが、こんな田舎町の中級ホテル、200元、約4500円は高すぎると思うが、この内の何割かは案内人の渙さんの懐に入るだろうから、まあ、やむを得ないか。フロントに戻って、値引きを言って見たら、180元まで割り引いてくれたので、中国の商習慣では元値からデスカウントするのは常識になっているのかも知れない。

部屋に荷物を置いて、昼飯を食べようとフロントまで降りてくると、その渙さんがフロントで待っていて、自分の家が直ぐ近くだから案内すると言う。どんなか少し興味があったので、又、自転車タクシーに乗り案内してもらうと、実際、ホテルから200-300m先にあり、大通りの歩道の上に立てられた簡易販売店、所謂キオスクの前に停まり、ここがそうだ、という。このキオスクは妻が経営していて、自宅はこのキオスクの前の5階建てアパートとのこと。ちょっと待っててくれ、と言って自分だけアパートの部屋に入って行く。流石に部屋の中までは見せてはくれないようだ。

4-5分キオスクの前で待っていると、小さな子供を連れて来て、孫だと言う。そして、自分の子供は今神戸にいると言って、日本語検定試験の結果表を出し、息子は日本語がペラペラで、検定試験3級にも受かっている、と自慢。えー、! こんな雲南省の更に国境に近い田舎町から日本までやってきて、今神戸の日本語学校で勉強している、とのこと! 信じられないような話しだが、現実だ。中国人の逞しさ、海外に飛び出していく活力、今の日本人から殆ど失われてしまった雄飛、希望、と言った現代中国人と日本人青年との様々な違いを感じさせられた。

そうした話しの中で、息子への仕送りもあるので、元をドルに替えてくれ、とのお願い。当方、元々中国へは何回も旅行していて、その都度円と元の交換をしているので、元はいまでもかなりの量持っていて、実際ドルよりも多く持っているのが実情で、渙さんには、元はもう余るほど持っているので、今交換する必要はない、と断ったが、猶もしつこく食い下がり、これは先刻のバス・ターミナルでのホテル紹介の時も同じだったが、中国人特有の食い下がり戦法に遭い、交換しなでは放免してくれそうになく、已む無く、100ドル交換してやった。

まあ、後で考えると、日本への中国人留学生は、「留学」というよりか「就学」であり、勉強よりもバイトに精を出し、せっせと実家への仕送りをしているので、この親父がいう事自体おかしいが、それに、こんな田舎町で、後で分ったことだが、英語が少しは出来て、当方とも片言の英語で会話を交わすこと位は出来たので、多分、こうして毎日バス・ターミナルに通い、良い外国人のカモを見つけては、件のホテルに案内しているのだろう。幾らの紹介手数料を貰っているか知らないが、彼も又、One of 強かな中国人の一人なのだろう。

アパートの中から奥さんが昼食のラーメンを運んできて、キオスク横のテーブルに乗せ、これから昼飯が始まるようだ。自分にも一つ、と虫の良いお願いも出来ず、それを潮に彼とは別れ、ホテルに向かって歩く。途中に何軒かある食堂の一つに入り、当方も少し遅い昼食を取ることにした。
 
 
 
 
彼の案内で200-300m先の自宅を案内してもらう。
 
 
 
自宅には入れてもらえなかったが、神戸に留学している息子の日本語検定の成績表を見せられる。
 
 
 
運転手の渙さんとお孫さん。右が奥さん経営のキオスク。
 
 
 
何歳になるのか、可愛いお孫さんだ。
 
 
 
彼とはそこで別れ、ホテルに帰る途中の食堂で、昼飯を食べる。
 
 
 
ホテルに戻る途中の道路上の風景。