ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(84)勐臘(腊)(モーロウ、メンラー)の町の高台(電波塔)で。

中国農業発展銀行の支店。この町には流石にHSBC(香港上海銀行)や中国工商銀行の支店は見当たらなかった。
 
 
 
ああ、ここはこの県の法務局(司法局)の建物だ。婦女子、児童の扶助に力を入れている。
 
 
 
下水道の整備されていないこの町の裏のどぶは、どこもこんな感じだ。しかし10年後には見違えるだろう。
 
 
 
ああ、電視局の高台がある。登ってみよう。この丸みを帯びた文字はミャンマー語に似ているが、哈尼族の使用する文字だろう。
 
 
 
この階段を登った上に見晴らし台がある。
 
 
 
 
 
そうそう、今まで「勐腊」又は「勐臘」を「モーロウ」と日本の音読みで呼んできたが、ここ地元の人はこの二文字を「メンラ」又は「メンラー」と呼んでいる。バスのターミナルとか、役所の看板などに英語表示がある場合は「Menla」となっている。だから正しい表記は「メンラ」だろう。丁度台湾の「台北」が日本語読みの「たいほく」ではなく、正しくは「タイペイ」のような違いなのだろう。しかし「メンラ」が正しいのであれば、これからのルビは「メンラ」として置こう。

又、文字にしても「勐」の文字は日本語にはなく、これ自体が簡体字ではないので、旧字体もない。「勐」は通常音読みでは「もう」だが、この地方では「メン」と発音している。次の「腊」は簡体字で元の文字は「臘」であり、この文字も日本語では見かけないが、右半分の造りは「蠟蜜」の「ろう」であるから、日本語流に発音すれば、「ろう」になるのだが、ここでは「ラ」又は「ラー」と発音している。少数民族は日常生活の中で漢字を使用しているが、日本人が移入された漢字を日本語流に読み下しているのと同じように、この地の人々も、元々ある彼等の言語に組み入れて、音読みしているのかも知れない。

賑やかなセンターモール、遊歩道付のショッピング街を歩き、この町が数多くの少数民族の集まりで成り立っていることを知り、且つ、その自治州の成立は今から60年も前の昔、共産中国が成立した直後のことであり、当時の異民族に対する中央政府の姿勢は、現在のウイグルチベット等に対するものとは大きく違って、流石に大国の趣があったが、そうした嘗ての融和政策はどこへ消えてしまったのかと、訝しく思ったが、それは別にしても、この自治州の諸々の民は、今日の休日を謳歌しているようだった。

センター街をトロイ抜けると、ちょっとした高台があり、見るとこの州の電視局の電波塔があるようだ。今まで街中を歩き、やや刺激も強く、ここで一休みするのも良いだろう。その高台に登り、先刻の小山とは反対方向からのこの町を眺めるのも良いだろう。先刻の小山もそうだったが、この高台に登ってくる人は全くいない。この町の人は、街中で騒ぐのは好きかも知れないが、こうした高い場所に登り、周辺を見渡す、という習慣は余りないようだ。

高台からの眺めは、街が直ぐ下で、丁度さっきの崖の上の喫茶店から見下ろしたような感じで、この町を両サイドから見下ろすような格好になった。こじんまりとした盆地のような感じの町。ここはシャングリラ(香格里拉)ではないが、同じ雲南にある理想郷。少数民族にとっては実に住みやすい街なのかも知れない。今日一晩、僅か1日の滞在だが、思い出に残る町である。
 
 
 
 
ああ、「勐腊」(メンラ)の町が真下に見える。
 
 
 
それ程大きな町ではないが、印象深い町だった。
 
 
 
雲南の更に又その辺境にある町だが、住みやすそうな町だ。
 
 
 
遠くに雲南の山並みも見える。
 
 
 
ここも又盆地状の土地になっているようだ。人々は安住の場を知っている。