ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(85)勐腊(メンラー)、「傣族」のレストランで。

「勐腊」電視局の高台から下りて、ホテルに戻る途中の路地裏で「傣族」レストランの看板を見る。
 
 
 
雲南の「傣族」が一体どんなものか興味がある。中に入って見よう。
 
 
 
かなり広々としたレストランの奥の方では女性達が何か織物をしている。
 
 
 
ああ、何か民芸調の刺繍を作っているようだ。
 
 
 
ああ、これは見事な刺繍だ。
 
 
 
 
 
勐腊県電視局の電波台はチョットした見晴らし台になっていて、勐腊(メンラ)市内が一望された。西に見える雲南の山並みも西日に赤くなり、漸く今日1日が終わりつつある。昨日から今日にかけての二日間、かなり忙しい毎日と相当な距離を走り抜けた。一昨日の早朝、ジャール平原の盆地の中の町、ポーンサワンから2000m級のジャールの山脈を越えてラオス国境に近い町、ウドムサイまでやってきて、そこで1泊。今朝は又そこから中国雲南省の国境を越え、午後、この町勐腊(メンラ)にやって来た。午後の半日、どことなくこの町を彷徨い、この見晴らし台に登り、今日1日を終える。充実した二日間だったとも言える。

見晴らし台を下り、ホテルのある大通りに向かって歩いていると、表通りから1本入った小道に「傣族」レストランの看板が見える。「傣味餐庁」と出ている。ああ、この町に住んでいる「傣族」が経営しているレストランだ。珍しい、どんな感じの種族でどんな食事がなのか興味がある。今、特段お腹が空いている訳ではないが、中に入って様子を見てみよう。

そうして「サワデークラップ」(
สวัสดีครับ)と挨拶して中に入ると、中にいる女性達も同様に「サワデーカー」(สวัสดีค่ะ)とタイ語で挨拶してくる。更に二言三言、タイ語で話し掛けてくる。ああ、ここではタイ語が全く問題なく通じるのだ。「傣族」とは言え、「タイ人」には違いないのだ。彼女たちとタイ語で話しをしている限りでは、普通の田舎のタイの女性と変わるところはない。うーん、そうだったのか・・。「傣族」と「泰族」、文字は微妙に異なるが、学者が言うように、彼等は元々は同一民族であったに違いない。

レストランの中はかなり広く、内半分ほどを食事用のスペースに使用し、残りの半分は、何か民芸品が展示され、その前で2-3人の女性が編み物をしている。見るからにカラフルな模様で、民族調の織物を作っている。この出来上がった生地を裁断し、裁縫し、彼女達「傣族」の民族衣装が出来上がるのだろう。

以前小金井で何人かとタイ語のサークルをやっていた頃、一人織物に興味を示す女性がいて、特に民族調の草木染に感心を持っていたが、彼女がまだサークルに在籍していたら、躊躇なくお土産に買っていくところだが、そのサークルももう1年以上も前に空中分解してしまっている。今はただこの「傣族」織姫に、タイ語で「綺麗だ、美しい、素晴らしい」の褒め言葉を掛けるだけで、客として彼女達の懐を潤すことが出来ない。

この地方の、こうしたレストラン、「餐庁」では常のことなのか、店の奥のショーケースの中に、何種類もの豚肉、牛肉、魚類などが展示されていて、客は好みの食材を決めれば、後は店のコックが上手に料理してくれる。まあ、当方もお腹が空いている訳ではないが、「傣族」とタイ語を話し、織姫と軽い冗談なども話せたのだから、何か食べて行かないと都合が悪い。ショーケースから適当な肉を選び、クックしてもらった。出来上がった料理がタイ風なのか、イサーン料理なのか、ラオス流なのかは当方には区別はつかないが、いや、実際、こんな場所、中国の辺境、雲南の更にその地方の「?腊」の名も知れぬ路地裏のレストランでタイ語を話し、一応はタイ料理を食べることが出来たのは、多分、当方に取っても一生の思い出となるものだろう。
 
 
 
 
店の奥にはショーケースがあって、この中から好みの肉を選び、料理してもらう。
 
 
 
ここは本格的なレストランなのだ。
 
 
 
出来上がった料理はちょっと味の濃い目の中国風なのか、、タイ風なのか・・、これが「傣風」なんだろう。
 
 
 
「傣族」、店のオーナー夫妻。
 
 
 
時間が経つと共に、店も混んできた。皆「傣人」のようだ。タイ語の挨拶が通じた。