新市街から旧市街地へ向かう国道は大々的な拡張工事中だ。
トラックが通り度にもうもうとしたすごい砂埃が巻き上がる。
周辺の住宅地と山並み。
ああ、空港ビルが見える。寄ってみよう。
中々立派な空港施設だ。
午前の便は終わり、午後は1便のみだ。
空港ビル内に入ると、カウンターの案内嬢以外は誰もおらず、ガランドウ。
少し穴ぼこがあったり、デコボコしているが、一応は舗装された道路、100m程の小山を自転車で下り降りるには訳もない。身体に当たる風も気持ち良い。途中、道路脇の斜面に立っているお墓の前で自転車を止め、芸術品的なお墓に見とれるが、それにしても先刻の紙で作られた風袋が気になった。昨日のブログへのコメントでゴンタさんが、「幽体」と表現していたが、ぴったりの表現だ。「幽体」。人の形をした真っ白な紙型が風に舞ってゆらゆら揺れている。まるで、小さな人の形をした生き物のようだった。それとこのお墓。ラオス人の死後の世界観に興味を持ったが、身近に教材もない。七夕の短冊、お盆の茄子と馬、灯篭流し、葬儀の際の領巾(ひれ)、等々何か日本人の黄泉の世界との共通点の感じたが、解くカギを持っていない。
丘を下りてから、新市街はそのまま素通りし、5キロ先にある旧市街に行ってみることにした。途中、新市街の外縁に当方のホテルもあるが、それも立ち寄らずそのまま真っ直ぐ南下する。殆ど平坦な道路で走り易いのだが、今は道路拡張の工事中で、道路の半分がダートになっている。そこを工事用のトラックが走ったりすると、もうもうと砂埃が上り、暫らく前には進めない。数少ないながら散水機を備えたトラックも走ってはいるが、絶対数が少なく、ちょっと撒いただけではこの炎天下の中、直ぐに乾燥し、将に「焼け石に水」。
数年前、初めてタイから友好橋を渡ってビエンチャンに来たが、その時も国道は大々的な工事を行っていて、日本製の中古トラックが行きかっていて「左に曲がりますから歩行者はお気を付けて下さい」との突然の日本語に驚き、その方向を見ると、胴体に日本語で「○○興行」などの日本の会社名を付けたトラックからの自動音声と分かり、内心笑ってしまったが、今このルアンナムターでの工事現場でも似たような光景があった。しかし、あの時からもう既に5年以上も経ち、流石にここでは日本語の自動音声も、日本文字のトラックも見ることは出来なかったが・・。
自転車を走らせると、右手に飛行場が見える。こんな小さな町にも飛行場がある。どんなものか寄ってみよう。何か日本との関わりを発見できるかも知れない。行って見ると1日に2-3便しか運行されていない地方空港。今は次の便の発着まで間があるのか、空港内はガランとしていて、受付カウンターに一人案内の女性がいるだけで、後は無人状態だ。カウンターに行って発着便を見ると、午前の便は既に終了し、午後に1便づつあるようだ。1機がビエンチャンとの間を往復しているようである。
飛行場は地方にしてはかなり広々していて、ラオス一国の財力ではとても建設できそうにない空港だが、日本とも中国とも、韓国等の外国援助国の支援のマークはどこにも見られない。時間があったのでラオス語の勉強をすることとした。「DEPARTURE」、「出発口」はタイ語と全く同じで「プードーイサーン ラーオーク」(ผู้โดยสาร ลาออก)と書いてある。又「トイレ」も「ホーンナム」(ห้องน้ำ)。これは全くタイ語と同じだ。少しばかり嬉しくなる。
建物の横には、立派な消防車なども置いてあったが、今は隊員は昼寝でもしているのか、全く人影は見えない。こんな立派な消防車はこの空港には上等過ぎると思ったが、どこの車両か分からない。多分日本のODAに違いないと思うのだが、証拠がない以上、何とも言えない。日本も援助するなら堂々と国名等を表示した方が良い。それが納税者に対する義務でもある。そんなことを考えながら、この空港を後にした。
丘を下りてから、新市街はそのまま素通りし、5キロ先にある旧市街に行ってみることにした。途中、新市街の外縁に当方のホテルもあるが、それも立ち寄らずそのまま真っ直ぐ南下する。殆ど平坦な道路で走り易いのだが、今は道路拡張の工事中で、道路の半分がダートになっている。そこを工事用のトラックが走ったりすると、もうもうと砂埃が上り、暫らく前には進めない。数少ないながら散水機を備えたトラックも走ってはいるが、絶対数が少なく、ちょっと撒いただけではこの炎天下の中、直ぐに乾燥し、将に「焼け石に水」。
数年前、初めてタイから友好橋を渡ってビエンチャンに来たが、その時も国道は大々的な工事を行っていて、日本製の中古トラックが行きかっていて「左に曲がりますから歩行者はお気を付けて下さい」との突然の日本語に驚き、その方向を見ると、胴体に日本語で「○○興行」などの日本の会社名を付けたトラックからの自動音声と分かり、内心笑ってしまったが、今このルアンナムターでの工事現場でも似たような光景があった。しかし、あの時からもう既に5年以上も経ち、流石にここでは日本語の自動音声も、日本文字のトラックも見ることは出来なかったが・・。
自転車を走らせると、右手に飛行場が見える。こんな小さな町にも飛行場がある。どんなものか寄ってみよう。何か日本との関わりを発見できるかも知れない。行って見ると1日に2-3便しか運行されていない地方空港。今は次の便の発着まで間があるのか、空港内はガランとしていて、受付カウンターに一人案内の女性がいるだけで、後は無人状態だ。カウンターに行って発着便を見ると、午前の便は既に終了し、午後に1便づつあるようだ。1機がビエンチャンとの間を往復しているようである。
飛行場は地方にしてはかなり広々していて、ラオス一国の財力ではとても建設できそうにない空港だが、日本とも中国とも、韓国等の外国援助国の支援のマークはどこにも見られない。時間があったのでラオス語の勉強をすることとした。「DEPARTURE」、「出発口」はタイ語と全く同じで「プードーイサーン ラーオーク」(ผู้โดยสาร ลาออก)と書いてある。又「トイレ」も「ホーンナム」(ห้องน้ำ)。これは全くタイ語と同じだ。少しばかり嬉しくなる。
建物の横には、立派な消防車なども置いてあったが、今は隊員は昼寝でもしているのか、全く人影は見えない。こんな立派な消防車はこの空港には上等過ぎると思ったが、どこの車両か分からない。多分日本のODAに違いないと思うのだが、証拠がない以上、何とも言えない。日本も援助するなら堂々と国名等を表示した方が良い。それが納税者に対する義務でもある。そんなことを考えながら、この空港を後にした。
到着便は大分遅れてる。2時の予定が1時間遅れだ。
飛行場はかなり広く、整備されている。
どこかの国の援助で建設されたと思おうのだが・・
空港ビル内に戻りラオス語の勉強。「DEPARTURE」は「プードーイサーン ラーオーク」(ผู้โดยสาร ลาออก)と書いてある。タイ語と同じだ。「ผู้โดยสาร」(プードーイサーン)は「搭乗者」、「ลาออก」(ラーオーク)は「出発」の意味。
「トイレ」は「ห้องน้ำ」(ホーンナム)、タイ語と全く同じだ。
誰も居ない空港内でアイスを食べて一休み。ラオス語の勉強をする。
空港ビルの隣には消防車も配置されていた。立派な車で、日本車と思うのだが・・。