ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(115)チェンセーンの古いお寺「ワットチェデイルーアン」。

市の中心部から1キロ位西に進んだところに深い木立の一角があった。
 
 
 
歴史を感じさせる仏教史跡だ。
 
 
 
完全な遺跡ではなく、現在も利用されているようである。
 
 
 
内部はかなり広い。
 
 
 
ああ、木陰に仏塔、チェデイ(เจดีย์ )が見える。
 
 
 
これは又随分大きくて、年代物の仏塔(เจดีย์ )だ。
 
 
 
 
 
チェンセーンの街の中心部から西へ向かって1キロ程、10分か15分歩いた先に、深い木立に覆われた地区があり、その木立の中にお寺はあった。13世紀初頭、まだスコータイ王朝が出来る以前、この地を支配していた「เชียง」(チェン)族の大王が建てた寺院だ。大きくて立派で古い。流石、「10万人のチェン族」=「เชียงแสน 」(チェンセーン)の都に相応しい寺だ。

スコータイやピマーイの遺跡の様に、今や無人、無住の遺跡として保存されているかと思い、建物の周囲を巡っていると、建物の中から人の声が聞こえる。中を覗いてみると大きな部屋の中に子供達が車座になって座っていて、勉強のようなことをしている。その正面には金箔に覆われた大きな仏像が鎮座している。ああ、ここは礼拝室であり、日本で言う、寺小屋のようなものなのか。700年経っても、この寺は地元民に守られ、帰依され続けていたのか・・。

敷地の真ん中に古めかしい仏塔が建っていて、その上部が修復されたように新しくなっている。その礎石の部分に説明書きあって、このお寺は「ワットチェデイルウアン」(วัด เจดีย์ หลวง )と書いてある。ああ、ここは王宮寺院だったのか・・。「ワットチェデイ」、そうか、この飛び抜けて高い仏塔をそのままこのお寺の名前にしている。日本流に言えば「王宮仏塔寺院」だ。

2011年(タイ暦2554年)3月24日の地震で仏塔の天頂部が壊れたとのこと。えー、三陸大震災が3月11日だから、その2週間後に、ここチェンセーンでも大きな地震があったのか・・。日本とタイ、2週間後の大地震。日本では、大震災後の福島原発問題で、タイの地方の地震のことなど、全くのニュースにもならなかったが、この土地に暮らす人々にとっては、重大な出来事だったに違いない。天頂部は直ぐにも修復され、今は白い石膏様の石材で覆われていた。

30年も経ったら、色も沈着し、基礎部と同じ様な古色蒼然とした仏塔、เจดีย์ (チェデイ)になっているだろう。その時は誰もここに大きな地震があって、天頂部が崩れ落ちたことなど、知る人もいなくなっているだろう。歴史の同化だ。チェン人からラオ人、そして今のタイ人。歴史の積み重ねによって、現在のタイが出来ているのだ・・。 それが歴史から学ぶということかも知れない。
 
 
 
 
ほー、これは大変な高さのチェデイだ。
 
 
 
あれ、天頂部の色が変わっている。修復でもしたのか・・
 
 
 
うむうむ、2011年3月24日に大地震があって、天頂部が崩落したのか・・。ああ、三陸地震の2週間後のことだ・・。
 
 
 
ああ、このお寺、「ワットチェデイルーアン」、日本語流に言えば、「王宮仏塔寺院」とでもいうのか。
 
 
 
ああ、隣の本堂には子供達が集まって、何か授業のようなことをしている。
 
 
 
 
ああ、この本殿の仏像も何百年と渡って崇拝されてきたのか・・。「チェン族」(คนเชียง)は今に生きている・・。