ちゃおチャオブログ

日々の連続

インド世界遺産の旅(11)世界遺産「Qutb Complex」の中の『鉄柱』。

クトブ・ミナールを見てから、次に『鉄柱』を見に行く。遺跡の向こうだ。
 
 
 
遺跡(廻廊)の中を通り抜けて行く。
 
 
 
元、ヒンドウ寺院だったが、イスラムに破壊されてしまった。
 
 
 
ギリシャ様式と言うか、アジャンタ様式と言うか、エンタシスになっている。
 
 
 
ここは以前はヒンドウの大きな寺院だった。当時の形骸が今も残っている。
 
 
 
赤砂岩と大理石の見事な組み合わせだ。奥に「鉄柱」が見える。
 
 
 
流石、石工の文化。こうした芸術的なアーチも造らていた。
 
 
 
こうしたアーチの技術は中国、朝鮮を経て、長崎眼鏡橋、菊地の五橋となって、現代日本で結実している。
 
 
 
 
 
ここ「クトブ・ミナール」(Qutb Minar)が立っている場所は広大な敷地で、モスレム王朝がインドへ攻め入る以前には、この場所にはヒンドウの寺院が建っていた。インドに侵入し、この国を支配したモスレムの王は、この場所にあったヒンドウ寺院を破壊してイスラム寺院に作り替え、併せて、巨大なミナレット、「クトブ・ミナール」を建設したのだった。

広大な敷地の中には、あちこちに破壊された痕跡を残す建物の残骸が残されているが、当時の物で、唯一破壊を免れたのは、この地に立つ『鉄柱』で、さしものモスレム王もこの『鉄柱』のみはそのままの状態で、この場所に残して置いた。この広大な歴史公園は「クトブ・コンプレックス」(Qitb Complex」と呼ばれ、先刻見た「ミナール」、これから見に行く『鉄柱』、それと破壊された建物群の3つから構成されていた。

『鉄柱』(Iron Pillar)は信じ難い遺物で、今から1700年も前のグプタ王朝のもので、高さは7m程しかない小ぶりのものであるが、何とそれは鉄の純度が100%近くあり、1700年経った今でも全く錆が出ていない。ただ見た限りでは何の変哲もない鉄のポールに過ぎず、そうした歴史的背景を知らなければ、気が付かずに通り過ぎるかも知れない。

3世紀と言えば、日本ではまだ卑弥呼の時代。漸く青銅器が祭器や武具に使用されるようになってきた。武器としての鉄器が流通するようになったのは、それからまだ数百年も後のことだ。それがこのインドの地、3世紀のグプタ朝、チャンドラグプタの時代には既に純度100%の銑鉄を鋳造していたとは! 中国にも言えるが、インドも中国に劣らない偉大な文明国だったのだ。

Ruin,廃墟に違いない崩壊した建物群を通り抜け、21世紀に残る偉大な2つの建造物、構築物を思い、集合場所の出口に向かった。 
 
 
 
 
ああ、これが1700年前の鉄の柱だ!
 
 
 
世界遺産「Iron Pillar」。
 
 
 
アラビックの装飾文字。
 
 
 
インドと中東が融合した芸術に違いない。
 
 
 
細密彫刻で大変な労力を必要としたに違いない。
 
 
 
今はもう大半が破壊されて仕舞っているが・・
 
 
 
遺跡を巡る主にインド人の観光客。
 
 
 
世界遺産に相応しいComplexだった。