ちゃおチャオブログ

日々の連続

トルコ史跡巡りの旅(40)トルコ最後の夜。「グランドバザール」と「ベリーダンス」。

夕方からはグランドバザール内でのショッピング。ここNo.1ゲートは集合場所。
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アジア最大のマーケット、4000軒以上の店が集まっている。
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トルコ人も含め、歩いている人は大体が観光客だ。
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バザールには中央に1本大通りが走っている。その両側に無数の枝道が走っている。
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売値は一概に割高のようだ。観光客料金か・・
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歴史を感じさせる建物である。
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トルコ旅行もいよいよ最後の夜となった。今日、これから「グランドバザール」は行き、そこで、人によっては掘出し物を見つけ、人によってはバカ高いまがい物を売り付けられ、悲喜こもごも、中近東と言うか、アジア最大のマーケット、嘗ては奴隷までも売られていた、カリフのお膝元、4400軒の店が重なり合う市場に向かう。今はその殆どが、土産店になっていて、いろいろと趣向を凝らして、国内外からやってくる観光客相手に、様々な商品が売られているが、果たしてその売り上げは如何程か。こうしてオスマン以来数百年に亘って市場の命脈が保たれてきている、ということは、それなりに利益を上げていることだろう。

夕方、周辺が薄暗くなった頃、この「グランドバザール」正面のNo.1ゲート前に集合し、これから2時間、各自銘々バザール内を買い物遊覧し、午後7時、再びこのNo.1ゲートに集合する。東京ドームの凡そ三分の二程の大きさのバザールには10個以上の出入口が設けられていて、午後11時になると閉門する。バザール内はNo.1ゲートからNo.5ゲートまで1本の大通り、メインアヴェニューが通っているが、そこから枝分かれした小路や路地、狭い通りが入り組んでいて、迷い込んだら方向が分からなくなってしまう。そうした時、No.1ゲートを目指せば、路頭に迷うことは無い、との配慮だ。又、更にもう1点、このゲートの直ぐ横に日本人専用とでも言えるような土産店があって、そこでは日本語も通じ、自分は買い物はしなかったが、多分円も使えるだろう。そうした利点もあった。

さて、最初の内は3人でバザール内を歩いたが、いつの間にか別れ別れになって、あてどもなく歩く。特別何かを買いたい、何かが欲しい、と言ったものはなく、トルコ風の骨董店に立ち寄り、店先の若いお兄ちゃんにそれとなく値段などを聞いてみるが、一概に高い。それが標準の値段なのかも知れないが、自分が想定していた値段よりも大分割高だ。世界から集まって来るお金持ちの旅行者にとっては、そんな額ははした金のように思えるかも知れないが・・。

ゲート1の反対側まで出て、一旦バザールの外に出てみる。丁度築地の場外市場のような感じで、飲食店やらキオスク、青果店などが軒を連ねていた。バザール内には、喫茶店はあったが、レストランなどは見当たらず、その多くが絨毯、骨董、手芸、宝石、雑穀、衣料店などに〆られていたが、そのしたバザール内に入れない業種の店などがバザールを囲むようにして並んでいた。これも又トルコ、イスタンブルの賑やかさの源泉になっているのかも知れない。

そうして「グランドバザール」内の『巡回』を終え、No.1ゲートに集合し、次に、ナイトレストランに向かう。ここは食事を取りながらベリーダンスのショーも見られるレストランシアターになっているのだ。薄暗い室内に漸く目が慣れてくると、客の大半は観光客だ。我々日本人のグループ、欧米人のグループに分かれている。何故か、我々のグループは、ステージの正面の一番良い席で、男女のベリーダンサーの踊りも良く見えた。男女共に激しい踊りで、当方のベリーダンスのイメージは、エジプトに於ける妖艶な踊り、との間隔があったが、トルコのそれは、むしろ激しさだった。
 
この踊りを見ていて、再び又、シエラザードのアラブの舞やヘレナの踊りを思い出した。そうか・・、ベリーダンスの発祥の地はここトルコだったのかと。1テーブルに10人程が着席し、トルコ名産の赤ワインを注文し、ワインを傾けながらの食事とダンス。実に充実した夜であり、旅だった。
 
 
 
 
「グランドバザール」の後は、市内のレストランシアターへ。
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食事をしながらのベリーダンスの鑑賞。
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中々美味しそうなオードブルだ。
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さて、いよいよショーが始まった。
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動きの激しい熱情的なトルコダンス、ベリーダンスだ。
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最後の夜、思い出に残る旅となった。
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