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日々の連続

ベトナム「ガックリ」旅行記(5)ハノイー河内ー韓国人。

ハノイの街の直ぐ横を紅河が流れている。実にハノイは河内だ。
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紅河は大河で、メコン程の幅は無いが、信濃川の3倍以上広い川幅である。
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河水も滔々と流れている。
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ハノイに着いた翌日、タクシーを走られ、この川を眺めに来た。
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ハノイ市内はまだバイクの数が多いが、自家用車に取って変わられつつある。
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嘗てロマノフ王朝では、王朝内の公用語はフランス語だった。それは多分にロシア人の貴族趣味、スノビッシュから来ているものであったが、国内に抱える多民族、異民族の多さからして、共通語としてのフランス語は価値があったのかも知れない。丁度現代の世界共通語である英語のようなものだ。

ここベトナムは嘗ては中国の属国であり、18、19世紀には約150年間フランスの植民地になっていた。とすれば、公用語は当然に中国語であり、フランス語であった。しかしそれを解する者は、上記のロマノフ王朝と同様、ごく一部の限られた植民地の間接統治者、補助者に限られていた。或いは又そうした外国語を駆使することにより、偉くなったのかも知れないが。日本の4年間の軍政など物の数にも入っていないし、ベトナム人の記憶の中にも入っていないだろう。

フランスの植民地期間より中国の属国であった期間の方が遥かに長いので、街の至る所にはフランス風よりも中国風が多い。通りの名前など、ラオスカンボジアでは今でも「Rue de」が使用されているが、ベトナムではそうしたフランス流の表示はない。あるのは駅名に使用されている「Gare」だけだ。

この大亀の剥製が展示されている「玉山祠」などは将に中国そのものであるが、この祠堂が建っている湖、名前は「ホアンキエム」
と言うが、これなど、そのまま中国語の「還剣」をベトナム風に発音しているのだ。ベトナム人は漢字は読めなくても、この湖の名前の云われ、故事は知っている。ベトナム独立に関わる話であるから。

今現在ベトナムは漢字では「越南」と書き、ハノイを「河内」と書く。漢字の読めないベトナム人象形文字としてこの二つの漢字の意味する処は理解しているに違いない。中国からすれば険しい山を越えた南にベトナム国があった。又、河内は市内を流れる大河「紅河」に抱きかかえられるようにして街が発展してきた。将にハノイは「河内」、名前の通りだ。

今ここにきて韓国の勢いが目覚ましい。サムスンを筆頭に、Hundai,KIA、その他企業の広告、韓国文字が氾濫している。日本の電化製品の広告は全くないし、車にしても日本車は10台に1台、或はそれ以下か。韓国に押しまくられているというか、既にこの国は韓国経済の支配下に置かれている感じだ。

最近出来たばかりのノイバン空港では、JALのカウンターと待合室が、それぞれ韓国のKorean AirとAsiana航空に隣り合わせに作られているが、韓国チェックインカウンターは長蛇の列で、日本人乗客の5倍、10倍程の多さだ。ショップでも韓国人の威勢の良さに、日本人客は押され気味である。先日の新聞に韓国に渡ったベトナム人妻が6万人を越える、と出ていたが、街中の韓国文字の氾濫、空港での勢い、等々を見ていれば、それも納得できるものであった。韓国の勢いは留まることを知らない。日本もスズキやダイハツ等、もうちょっと頑張ってもらわなければ・・。日本を代表して一一矢を報いてもらいたい。
 
 
 
 
バイクの轟音、洪水はすさまじいものでる。2年前、サイゴンで受けた時の印象と同じだ。
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今はバイクから自家用車に変わりつつある。大半の車は韓国製だ。日本車よ、頑張ってくれ!
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バスも9割以上が大宇(デウ)だ。
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通りはフランス風の木陰が多いが、通りの名前に「Rue」は付けられていない。
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旧市街は、フランス植民地時代の面影が残っている。
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