ちゃおチャオブログ

日々の連続

ボロブドールへの3日間(25)ジュアンダ駅からボゴールへ。

ジュアンダ駅も比較的新しく、近代的だ。
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これからエスカレーターで2階のホームに向かう。
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かなり高い位置にある2階のホーム。
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反対側のホーム。JUANDAの駅名が見える。
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ホームの上から見える街の情景。前方に市の中心部の高層ビル街が見える。
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駅前は大規模開発が進行中だ。
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さて、ボゴール行の電車がやってきた。
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ガンビル駅まで来たがバンテン行の交通手段は見つからず、ここでも同様に法外な個人ドライバーの何人かにアプローチされたが、そんな高いお金を払ってまでして行くこともなく、結局、手っ取り早く簡単に行ける隣り町ボゴールへ行くことにした。ボゴールは昔からある高原の避暑地で、夏の間、オランダ植民地政府や、それ以前の藩王時代以来、政府要人や家族が総出で引っ越した町と知られていて、丁度フィリピンで言えば、マニラとバギオ、ビルマで言えば、ラングーンとマンダレーの先のメイヨーの関係に似ていて、夏の間の臨時首都、と言った感もある町として知られてた。

そのボゴールへ行くには、市電のトラムのようなプラットホームが作られている運行バスに乗って2つ目のジュアンダ駅から郊外電車に乗るよう言われ、このジュアンダ駅に来た。この駅はガンビル駅程の賑やかさはないが、高架鉄道の地表からバカ高い場所にホームが作られていて、比較的新しいようだった。バンコクのBTSや5月に行ったマニラの市電もそうだったが、新興国で作られる高架鉄道はどれもバカ高い位置にあって、しかもエスカレーターの完備が不十分だから、高齢者の利便性は余り考慮されていないようだ。

そのジュアンダ駅のホームで待っていると、通勤電車がやってきた。それはジャカルタの下町コタ駅と終点のボゴールを結ぶ、郊外型の通勤電車のようなものだが、この国でも、こうした交通インフラが急速に発達してきていることが分かる。ボゴールは夏の避暑地だから、軽井沢のように高原地帯にあるかと思ったら、電車はそれ程標高を上げていない。どこまでも家並みが続き、数キロ置きに駅があって乗客が乗り降りするが、ジャカルタ首都圏の延長上を走っているようだ。家だらけで、緑など殆ど見えない。戦前、ボゴールへは馬車を連ね、1日がかりで移動した、と聞いていたが、電車から眺める光景を見ていると、隔世の感というか、おとぎ話を聞いている感じでもある。

電車は徐々にではあるが標高を上げ、ジュアンダから約1時間、終点のボゴール駅に到着した。ジュアンダとの標高差は多分200mもないだろう。仮にあったとしても300mを越えることはないだろう。昔は緑多く、夏凌ぎやすい土地だったかも知れない。しかし、戦後の人口の大爆発で、ジャカルタからボゴールまでの沿線からは緑は全く失われ、電車の窓から見えるのは家並みの屋根だけだ。この状態を見ても、インドネシアの人口は既に日本を遥かに超えている点は、実態として理解できた。

ボゴールのプラットホームだけは以前のように地面すれすれの低いコンクリート造りになっているが、駅舎は既に新しく、チケット販売などはコンピューターも導入されているようだ。駅に着くと、乗客は昔風にホームの上に飛び降り、ぞろぞろ駅舎に向かって歩いて行く。当方も近代的な電車から背の低いプラットホームに飛び降りて、人々の後を付いて出口に向かった。
 
 
 
 
日本の通勤電車のような感じだ。後で分ったが、これは日本製の車両だった。
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車内の様子も日本の通勤電車そっくり。
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ああ、何か日本、東京の山手線に乗っているような感じだ。
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乗車して約1時間弱、ボゴール駅に到着した。
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人々はプラットホームから線路に下りて、ぞろぞろ出口に向かう。
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駅舎はどこも綺麗に建て替えられているが、このホーム自体は昔のままのようだ。
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改札を出て、街に向かう人々。
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