ちゃおチャオブログ

日々の連続

奥多摩・日向和田(3)即清寺八十八番霊場を巡り、愛宕神社経由二俣尾へ。

即清寺の浦山は四国霊場の八十八ケ寺巡りができるようになっている。
イメージ 1



その奥は吉野園地になっていて、登ってみることにする。
イメージ 2



寺の境内から40-50m程登った先に高台があり、園地になっている。眼下の街並み。
イメージ 3



この付近の斜面には変わった色合いのカタクリが咲いている。
イメージ 4



片栗粉は縄文人の主食。この辺りも古くから開けていたに違いない。
イメージ 5



あちこちに自生し、群落となっている。
イメージ 6



奥の院までは1.2キロか・・。行けない距離ではない。
イメージ 7



巡礼道を奥の院に目指していく。
イメージ 8



ああ、漸く七十七番札所まで登ってきた。だが、奥の院は見当たらない。
イメージ 9



ああ、もう八十八番、最後の札所に着いた。もう1.2キロ以上は十分に歩いている筈だが・・
イメージ 10



奥の院はもっと先にあるかも知れないと、更に登って行くと、送電線の鉄塔に出会った。
イメージ 11



ああ、この鉄塔は三室山を横切っている新所沢線だ。
イメージ 12




殆ど平坦な道だったからここ即清寺まで来れたのかも知れない。しかも時々野辺の草葉を見たり、写真を撮ったりして、立ち休みする機会が何回もあった。そうした歩いたり、休んだりの繰り返しで、ほぼ1時間の道のりもそれ程下肢も痛まずに歩いてこれたのだろう。当初の目標は、ここまで来て、吉川英治記念館の前を通り、二俣尾の駅まで出るコースだった。

即清寺でお参りし、ふと、庫裡の裏を見ると、四国霊場八十八ケ寺の案内札と、吉野園地の案内板が立っている。時間は早い、まだ2時だ。もう少し頑張ってみよう。吉野園地と言っても、寺の裏山だから大したこともないdろう。大体が、この寺に参詣に来た檀信徒が、お参りに回る程度の小山だろう。上り坂を休み休み登る。幸いに斜面には、珍しい色合いのカタクリがあちこちに自生している。下肢の痛みへの過剰な反応も緩和されるに違いない。

園地までゆっくり登り、見晴らし台から眼下の町を眺めるが、樹林に視界が妨げられ、余り良く見えない。下山しようと案内図を見ると、この下に愛宕神社があり、更に、もう少し登ると奥の院もあると言う。寺の境内からこの園地までは凡そ40-50mか。しかしここまで登って来れて、足の痛みも感じない。どこかへ行ってしまったようだ。頑張れば出来ないことはない。奥の院を目指し、更に高みに向かって登って行くことにした。

裏山は新四国霊場遍路道のように八十八ケ寺が順番に山の高見に続いてく。寺番号を追って上に上に向かって行くが、中々奥の院に行き当たらない。結局最終の八十八番、大窪寺まで行き着くが、ここまでの間、奥の院には行き着かなかった。どこかで道を間違えたらしい。今日は土曜日なのに、この参道を歩いている人は殆どいない。3人組の若いヤンキーが、短パン姿で上から降りて来るのに出会っただけだ。一生懸命、先に登ろうとする意欲が勝ったのか、痛みはいつの間にか、忘れるようになっていた。

最後の八十八番目の石仏にお参りし、更に上に上ると、東電の新所沢送電線の鉄柱の所まで出て来た。ああ、ここまで来たら、三室山ももう直ぐ先だ。時間は3時近くになっている。もう諦めて下山しよう。再び元の山道を下り降り、愛宕神社に向かう。その途中、後ろからやってきた若い登山者に追い抜かれる。相方は余り話したがらない様子。どこへ登り、どこから下りて来たのか聞きたかったが、挨拶だけで、無言で抜き去って行った。しかし、一人でもこうした登山者がいたことに、大いなる安心感を覚えた。

漸く愛宕神社まで下山し、長い石段の上から日向和田での町を眺め、石段横の吉川英治記念館の外観を眺め、戦前建設された珍しアーチ橋、奥多摩橋を渡り、二俣尾の駅に着いたのは、まだ4時前だった。前半痛みを我慢し、後半、痛みも殆ど消え、歩きに歩いた。歩数計を調べると、今日は歴代3位、18,215歩、距離にして12.93キロ歩いた表示になっていた。ちなみに第1位は、2014.12.6、で、23,892歩、16.96キロとなっていた。今日は過去の大記録を塗り替えることは出来なかったが、最初に歩き始めた状態から見ると、全く見違えるような結果になっていた。これで、少しは自信が持てるようになった。帰りの奥多摩線の電車の中、他の乗客に遠慮しつつ、気持ち良くビールに満足した。



この付近からの眼下の街並みは樹木に遮られ、良くは見えない。
イメージ 13



下山時は足もそれ程痛まず、殆ど休まずに愛宕神社まで下り降りることができた。
イメージ 14



神社の境内から石神前付近の情景。
イメージ 15



眼下に街並みが広がっている。
イメージ 16



長閑で平和そうな光景だ。
イメージ 17



山桜ももう直ぐ開花だ。
イメージ 18



ああ、ここには田舎芝居、田舎歌舞伎の部隊などもあったおだ。村の鎮守の例大祭には、村人が大勢集って来て、さぞかし賑やかなことだったろう・・
イメージ 19



晩年、この神社の直ぐ横に終の棲家を構えた吉川英治も、例祭には神社にやってきて、田舎芝居に興じたかも知れない。いや、或は、大菩薩峠が演目として演じられていたかも知れないが・・
イメージ 20



戦前の昭和14年に建設されたアーチ橋、奥多摩橋を渡り、二俣尾の駅に向かう。
イメージ 21



素晴らしい日本の技術だ。
イメージ 22



多摩川の流れ。今日1日良く歩いた・・。
イメージ 23



ああ、まだ日暮し釣りをしている人もいる。・・須田ちゃんもこんな中の一人でいるだろうか・・
イメージ 24