ちゃおチャオブログ

日々の連続

ルソン山紀行(12)バギオの街歩き。

ホテルからは坂を少し上って、街の中心部へ出る。
イメージ 1



山間部の田舎の町かと思っていたが、案外垢抜けて大きな街だ。
イメージ 2



周辺部の山岳の民が集まってきているのか、人出も多い。
イメージ 3



再開発されている市のメインの通り。今でも進行中だ。
イメージ 4



メインの通りには歩道橋が数か所あり、歩道橋の上から撮影。
イメージ 5



左側は古い家並が取り払われ、大きなビルになっている。右側は道路に沿った長いマーケットになっている。(ここからは見えないが。)
イメージ 6




日本人がフィリピンについてどの程度のことを知っているか、当方は知らない。それでも大半の人は首都がマニラで、暫らく前まで独裁者マルコスが君臨していて、美貌の奥さん、イメルダ夫人が贅沢三昧をしていた、とか、それから島の名前。マニラのあるルソン島とか、日本軍が大敗した激戦地レイト島、南国楽園地のセブ島、それに民族紛争で時々ニュースになるミンダナオ。街の名前と言ったら、今の日本の政治状況と似たようなもので、マニラの一党独裁で、マニラがあって他には街無し、という状況。そんな中でルソン島北部、山岳地帯の中心都市がバギオだ。弱小都市群の中で一人気を吐いている。

昼食を兼ねた2回目のトイレ休憩の後、バスは山岳地帯に入り込み、野山を切り開いた山岳道路に入って行く。気候温暖で、食物には困らないのだろう。街道沿いには集落が続き、町を通り過ぎた後にも、ポツンポツンと人家が続く。数名の乗客はそうした山地の中でも乗り降りし、良く見ると、谷底の下の方に家々の屋根が見えたりする。そうした山間部を通り過ぎて、漸くバギオの町外れにやってきたが、ここは山中に開けた盆地状の街。峠道を越えたバスはどんどん下って行って、市境に入る。

そこからが云わばバギオ市街で、最初に最高裁判所の緑に覆われた大きな敷地とか、各官庁の出先機関の、全く大きな別荘地のような行政機関の建物が見えてくる。そう、ここは夏の間の臨時政府だ。大統領初め、マニラの主だった政府行政機関が夏の間ここバギオに引っ越してきて、この街から采配を振っていた。冷房設備が完備された今でも、夏の首都としての役割を果たしているかどうかは知らないが、少なくとも戦前の米国植民地下の時代まではそうだった。

それ等行政府は盆地の上の方、山に近い地区にあり、バスはどんどん坂道を下って行って、盆地の一番低い、底のような場所に市の中心部があって、バスターミナルはその一角にあった。ツクツクの運転手に連れて来られたホテルは、そこから更に下った場所にあり、市の中心部が必ずしも盆地の底とか限らない複雑な形状をしていた。この街は山の起伏を利用した、山間の街であり、ひょんな所の小山の上に民家があったり、ずっと下の谷底のような場所に集落の家並が見えたりしていた。

さて、ホテルの部屋にリュックを下ろし、街の中心部に向かう。ここからは少し坂を上って行くが、この北部地方の中心都市だけあって、想像していたよりは賑やかだ。人と物資の集積する中心都市らしい装いをしていた。



メインの通り、マグサイサイ通りの始点、公園傍の歩道橋から撮影。この辺り市の中心だ。
イメージ 7



近くにはミニバスの停留所などもあり、賑やかだ。
イメージ 8



ハンバーガーショップ、Jollibeeは、フィリピンのあちこちの都市にある。
イメージ 9



正面の平屋根が、随分大きく、細長いCity Marketだ。
イメージ 11



この平屋根がCity Market. 随分沢山の小売店が入っていて、野菜果物、肉類から衣類、電化製品まで調達できる。
イメージ 12



ビルの中の店舗に入って見る。マニラのデパートと変わらない品揃えだ。
イメージ 10