ちゃおチャオブログ

日々の連続

「サウダーデ」モラエスの愛した町(13)眉山山頂・剣神社へ。

ロープウエイ支柱からは山頂駅が前方に見える。もう直ぐだ。
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しかし又同じような潅木林が続く。しかし、勾配は緩くなってきた。
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暫らく林の中を歩いていると、突然、石畳の道になってきた。・・なんだろう・・。こんな山中で??
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殆ど人も通らない山中にこんな立派な石畳道路。不思議だ・・。歴史的なものだろうか・・。
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200m程石畳を登って行くと、前方に古めかしい石柱が見えて来た。
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何だろう・・。消えかかった文字を読むと「皇儲行啓参道」と書いてある。
ああ、この近くに神武天皇記念碑があるので、皇族の誰かがここまでやって来たのだ・・。それにしても「皇儲」(こうちょ)とは、誰の事だろう・・
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殆ど直登に近い潅木林の中を黙々と登って行くと、突然に視界が開け、同時にガラガラと機械が回転する音も聞こえて来て、見ると前方には、林がぽっかりと切り払われていて、その中に大きな鉄塔が立っていた。そこは麓と山頂を結ぶロープウエイの支柱だったのだが、遥か下の徳島の町を眺めることも出来、小休止できた。ここから又更に潅木の林が続くが、もう既に山頂に近づいてきている。直登の傾斜もなだらかになってきた。

暫らく進むと、林の中に突然石畳の道が現れた。どうして、こんな登山者もいないような山中に、この様な立派な石造りの歩道があるのか?? 狐に包まれたような不思議な思いで、石葺きの山道を登って行くと、前方に大きな石柱が立っている。殆ど薄れかけた文字を漸く読むと、「皇儲行啓参道」と書いている。ああ、そうか、地図にはこの山中のどこかに神武天皇記念碑があると出ていたが、天皇のお世継ぎが、そこへ参詣に行く為に、当時、こんな立派な石畳の参道が作られたのだ・・。

うーん、そうだったのか・・、「皇儲」(こうちょ)という難しい漢字を使っているが、「皇太子」ではなく「皇儲」に意味があったのだ。明治天皇の皇太子は、大正天皇だが、早くより病弱でこんな山奥までは登れなかった。孫の昭和天皇であれば、「皇儲」と言えるのだ。成程、この参道は明治時代に作られ、その孫の昭和天皇、当時の裕仁親王殿下が行啓した時のものと考えれば、納得がいく。「皇儲」など聞きなれない、難しい漢字を使っているが、そんな風に考えれば、理解できるのだ。

誰もいない山中で、こんな古めかしい石畳と石柱に驚かされたが、そうして一人合点して登って行くと、そこからはほんのしばらくで山頂の神社に到着した。「別格・劔山本宮」。とある。しかしここは世にいう「劔神社・剣山本宮」とは違って、その遥拝所になっている。祖谷の奥の剣山山中にある本宮をここから遥拝するのだ。それにしてもこんな場所に劔神社があったとは・・。過去2回の登頂で、全く気がつなかった。

< 眉山哉 皇儲行啓 石葺道 >



ああ、こんな場所に祠もある。歴史の古い山だ。
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更に進むと再び道標が出て来た。600mと出ている。・・では先刻の林の中の里程標600は何だったのだろう・・。
< 眉山哉 皇儲行啓 石葺道 >
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ああ、やっと山頂に到着した。神社の裏だ。
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「別格・劒山本宮」とある。本峰、劔神社の姉妹宮か・・。
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神社前には由緒の立札もあった。大正4年に創建されたものだ。
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劔神社に参拝し、山頂の見晴らし台に向かう。
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