ちゃおチャオブログ

日々の連続

「サウダーデ」モラエスの愛した町(16)蜂須賀家墓苑へ。

南方小松島の辺りの島影がぼんやりと見えている。屋島の戦の頃、義経軍はこの辺りから上陸し、裏から八島を攻めたと太平記だったか、出ていたが・・。
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神山町佐那河内の山並みも薄っすら見える。
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更に遠方に剣山が霞んで見えていた。
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眉山山頂の直ぐ横には、大きな駐車場がある。しかし車は数台しか止まっていない。好天の土曜日でもこんなものか・・。下山は車道を暫らく歩くことにした。
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今は閉まっているが、ここでも「やきもち」が名物か・・
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楽しみにしていた眉山山頂のモラエス館が閉館中で、少しばかりがっかりはしたが、別にそこに入れなくても、この山頂からの阿波平野、吉野三郎、小松島を眺めることが出来、満足できた。大体モラエスは妻の小春が亡くなって以降、この麓の伊賀町の長屋で侘しく独り住まいをしていて、彼の残したものと言ったら日本に関する著作物程度のもので、他には見るべきものもない。だから仮にモラエス館が開いていても、さっと入ってさっと見終える程度のもので、中の展示物がどうのというよりも、10年振りにやって来た、との感傷的なものに過ぎない。しかしその感傷は既に山頂からの360度のパノラマの景色を眺めることによって癒された。パゴダ塔の前から遥か先の山霞の中にぼんやりと見える剣山の山並みを最後に眺め、眉山を後にした。

さて次に向かうのは、この山の中腹にある蜂須賀家墓苑だ。そこを経由して下山すれば、滝薬師、観音堂へ行ける筈。山頂駐車場から少し下った所に「かんぽの宿」があるが、墓苑はその先になる。「かんぽの宿」は5階建ての本格的リゾートホテルで、何でこんな山中に1軒だけポツンとあるのか、と不思議に思ったが、当時バブルの頃、「かんぽ」や「年金」が各地に競って豪華なホテルを建て、最初の内は景気も良かったが、バブルがはじけると同時に、大半の施設は左前になって、ほんと、二束三文でハゲタカファンドに叩き売られたが、この徳島の物件は、猶命脈を保っているようだ。それにしても辺鄙な場所にあり、車が無いと全く不便で、今ホテルの前を通っても殆ど客は入っていそうもなく、良くこれで営業が保てるのかと、他人事ながら心配になる。

その「かんぽの宿」の前を通り過ぎ、暫らく車道を下ると蜂須賀家墓所の入り口にへ来る。入り口の案内板には「徳島藩主蜂須賀家墓所(万年山墓所)案内板」と色刷りされている。ああ、蜂須賀家歴代のお墓がここに集まっているのだ。・・蜂須賀小六。お墓をお参りしながら下山しよう。

< 千年の 阿波の海見ゆ 山下る >



次に又眉山に来るのはいつになるだろうか・・。
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駐車場周辺には文人の石碑なども立っている。
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かんぽの宿の前を通り過ぎて、蜂須賀家墓所に向かう。
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入口には「徳島藩主蜂須賀家墓所」の案内板が立っている。
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人が誰もいない。少し心配になるが、分け入ってみるか・・
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