ちゃおチャオブログ

日々の連続

最悪のインド旅行記(19)死体焼き場での吹っかけ。

ホテルのベランダからは夜通し燃えている死体焼き場の炎が見える。
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時間と共に炎の勢いは弱まって行く。
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しばらくすると又ボッと燃え盛り、一晩中繰り返す。
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翌朝、住宅地の細い路地を通り、焼却場に向かう。
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漸く河岸へ出た。住民が集まって、何かをしているようだ。河に対する朝の祈りかも知れない。
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河に向かって聖牛を連れて行く。
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宿泊したホテル「Puja Guest House」はガンジス河岸段丘の崖上に建つ5階建てのビルで、その屋上がフラットルーフのレストランになっている。常夏のベナレスではガンジスからの川風が流れて来て、眼下の街並みの灯を眺めながら飲むビールは又格別だ。インドではビールも安く、大瓶でも80円程度で飲める。3か月前のトラピックスツアーでは、どの町のどこのレストランでも小瓶が一律500円だったことを思うと、全くバカみたいな値段だ。

この屋上には、少し日本語の話せる剽軽な男がいて、ウエイターでもないが、店を手伝ったりしていて、当方が頼んだビールを持って来たりして、自分が日本人と見るや日本語で話してくる。当人の自己紹介ではベナレスのニイヌマケンジだと言っている。歳の頃は50前後、中肉からやや小ぶりで、見ようによっては新沼謙治に似ていなくもないが、当方自身が新沼を良く知らない。最初は名前を聞いても良くは理解できなかったので、「そのニイヌマとは誰だ?」と聞いたら、「日本の有名な歌手を知らないのか?」と逆に聞き返され、漸く思い出した。顔付は兎も角として、カラオケは歌手並みに上手いのかも知れない。

このルーフレストランからも自室のベランダからも左手に死体役場の炎が良く見える。距離がかなりあって、炎自体は小さななもので、煙も匂わないが、川風によってゆらゆら揺らめく炎は薪の火だ。次から次に一晩中掛かって燃やし続けるのだろう。人々は死ぬためにこの町にやってきて、死期を迎え焼かれ、川に流される。インド人二採っては当然の輪廻を生きているのだろう。

翌朝は一番に焼き場へ行った。ホテルからは歩いても10分も掛からない。迷路のような住宅地の路地を、途中、聖牛に通路を塞がれながらも、何回か迷って行きつ戻りつして、河岸へ出る。河岸へ出る最後の角を曲がる前から既に異様な臭気を放つ煙が漂って来る。あった! 膨大な薪の山があちこちに野積みされている。燃やされるのを待っている。商品だ。人間一体を燃やすのに何束必要とするのだろう・・。

近場まで来るとすかさず若者がやってきて、ボランテアガイドの案内役だという。焼き場の直ぐ横に4階建ての廃墟ビルがあって、ビルの上から焼いている状態を眺めることができる。入場はフリーだと言って、若者が仕切に話しかけて来て、どんどん案内してくれる。最初は有難く思って付いて行ったが、どうも様子が変だ。行き違いにビルから出て行く外人客を見ていると、別の案内人がお金を要求しているようだ。何か争いもあるようだ。

それを見て、当方はガイドを断り、自分一人で上の階に上がろうとしたら、ストップを掛けられ、上には行かせない。このビルの隣に老朽アパートがあり、そこには身寄りのない老人が死を待っている。死んだらここで焼かれる。そうした恵まれない人への寄付をすべきだ。この「Observation Tower」に入ったのだから1万円置いて行け、と強要する。

そんなお金は持ってない、と言うと、円なら幾らでも良い。1000円、2000円でも良いと。今円を持っていない、と言うと、他の若者も何人か集まって来て、囲むようにして加勢してくる。最初の男が凄む。参った・・、この汚いインド人野郎が! 心の中でそう憤ったが、ここで争う訳には行かない。止む無く1000円相当の500ルピーを投げるように手渡し、そそくさとビルを出た。そんな騒動で、結局、燃やすのに必要な薪の量とか、一山の値段、等々、確認もできず、焼き場から逃げ帰った。

荘厳であるべき焼き場で、汚いインド人にたぶらかされ、又々嫌な思いをした。最悪、最低のインド人め!



ああ、沢山の牛が水浴びをしている。この隣に焼却場がある。生と死は隣り合わせだ。
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凄い量の薪が山積みされている。
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毎日何人の死者が焼かれるのだろう・・。
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人の骨のようにも見える薪。
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Observation Tower.この廃墟のビルから隣で焼かれている死者を見ることができる。
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隣りのアパートでは孤独な老人が死ぬのを待っている。ここで死に、焼かれ、川に流されるのが、最大の喜びなのだろう・・。
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