ちゃおチャオブログ

日々の連続

皇居の桜ー通り抜け(4)乾通り。

この築山の向こう側には吹上御苑があるのだが、乾通からは見えない。
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天皇皇后両陛下のお姿を一目でも見たいと思って歩いている人が大半だろう。
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今日は月曜日の曇り空。それ程多くの通行人はいなかった。
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天守閣を守る内堀(乾壕)も見える。
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桜の木は自然の塩梅で配置されている。
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坂下門から皇居の北東、乾門を結ぶ通路は「乾通り」と呼ばれている。正式名称か通称なのかは知らないが、春秋2回、この通りが市民に開放され、「乾通の通り抜け」として皇居の中に入れるということで、人気も高い。例年5日間の開放を今年は1週間に伸ばし、更に又急遽、2日をプラスし、4月3日の日曜日まで延長して頂いた。人気の高まりの表れだろう。

通り抜けだから逆行はできない。坂下門から乾門へ抜ける一方通行なのだ。これは大阪造幣局の通り抜けと同じで、一方通行にしないと人の流れが混乱し、大渋滞を起こすかも知れない。偶々今日は曇りがちの月曜で、花見客も少ないようで、スムーズに歩け、且つ、花を見ることもできた。大阪造幣局は桜を見てもらう為に全国から珍しい桜の苗木を植樹し、800m程の通り抜けに数百本の桜が密集している感じであるが、ここ乾通は、自然木の感じで、むしろ桜は少ない感じだ。桜を見るが為だけの目的だったら、皇居の裏の千鳥ヶ淵とか、九段下辺りの方が余程か桜の数も多く、木も大きく見栄えは良い。ここに集まる毎日数万人からの人々は、桜もさることながら、皇居内を散策できるという、むしろ、こちらの興味の方が多いに違いない。

イギリスなどではRoyal Familyが普段着で街を歩いたり、ショッピングする姿がテレビ映像に映し出されることもあるが、日本の場合はそこまでは開かれていない。乾通を歩いていても庭木や灌木で上手に遮蔽されていて、通りからは吹上御苑を見ることはできない。ほんの一部分だけでも樹木が取り払われ、通りから御苑を見ることができ、偶々庭苑で寛ぐ両陛下、皇族方の姿など眺められれば、国民には大きな喜びとなるだろう。が、そうなると人の流れは止まり、そこだけ黒山の人になって、本来の目的、「通り抜け」にはならなくなるかも知れない。

敗戦直後の日本で、昭和天皇人間宣言をされ、その後、全国を行幸された。陛下は全国どこでも国民の大歓迎を受け、一部の共産主義者を除いては、誰も天皇の戦争責任を問う人はいなかった。戦後日本の平和の象徴として、天皇はその中心にあった。28年前の御大喪の砌、世界各国から元首が弔問にこの極東の地まで駆けつけた。激動の20世紀、世界の平和のシンボルの死を悼む為に。昨秋、昭和天皇の遺徳を継いだ平成天皇がフィリピンを歴訪された。アキノ大統領は自ら空港に出迎え、3日間の滞在中陛下を4回も歓迎し、最後に又空港まで見送りに来た。平和のシンボル平成天皇は、約100万人からの戦病死者出したフィリピン国民からも大歓迎をされた。

「桜と日本人」。戦前はその散り際の見事さ故に、血の匂いを感じさせるものもあったが、戦後は平和のシンボルになっている。この通り抜けを歩く人々の中にもかなりの中国人、台湾人、韓国人もいるに違いない。花を愛でる心根。皆優しい顔立ちをしていた。



これは又なんという木か・・。珍しい枝ぶりだ。
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初めて見る木で、名前を知らないのが残念だが・・
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ああ、乾門が見えてきた。乾の方角、即ち江戸城の東北の方角か・・。
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乾通をもう一度眺め、門を出る。
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時間があるので、これから天守台に向かおう。久しぶりだ。
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