ちゃおチャオブログ

日々の連続

成都の3日間(31)武候祠を出て。

1時間半の武候祠観光を終えて外に出る。
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今回旅行の目玉の一つであることは間違いなかった。
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数々の英雄伝が思い出される。
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こうした塑像を見ても、誰のどんな史実があったのかさっぱり分からないのは残念だったが・・。
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まあ、こうした場所を訪問した、ということだけは覚えておこう。
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三国志の時代は、後漢末の世が乱れた頃、紀元180年代に黄巾の乱が発生し、その後、曹操劉備孫権が呉魏蜀の3国に分かれて相争い、この3人も相次いで亡くなり、紀元280年、魏が国土を統一した時をもって終了する約100年間の出来事だった。正史「三国志」はそれ以前の正史、中でも有名な司馬遷の「史記」や班固の「漢書」、「後漢書」に続く唐代以前の4史と言われる程のもので、これはそれぞれの三国、「魏書」「蜀書」「呉書」が合体されて「三国志」となったもので、この中の「魏書」の中にある「魏志倭人伝」は、日本人にも馴染みの深いものであった。編纂した陳寿は蜀の出身で、客観的に見ればそれ程有能とは思えない蜀王劉備を贔屓目に描き、反対に、魏王曹操を冷たく評価していた。

約1時間半の武候祠観光は漸く終わった。100年に亘る英雄豪傑譚を僅か1時間半の駆け足観光で、いか程のものが得られたのかは全く自信はないが、それでもこの三国志に登場した人物像は、後世に大きな影響を与えている。例えて言えば「水魚の交わり」「脾肉の嘆」「蟷螂の斧」「人生は朝露のごとし」「豚児と鶏肋」「破竹の勢い」「危急存亡の秋」「死せる孔明生ける仲達を走らす」等々。皆懐かしい言葉だ。今に生きている。

ツアーの予定ではこの後30分、武候祠に隣接する清時代のテーマパーク「錦里」を散策することになっている。ここは昨日最初に訪問したテーマパーク「寛窄巷子」と同じような嘗ての歓楽街で、土産店、飲食店、芸能館、屋台等々が出ていて、賑やかな街区になっている。自分は知らなかったが、ツアーのメンバーの一人が、どこで調べたのかこの武候祠の道路を隔てた反対側に「チベット街区」があって、そこへ行ってみたいと言う。添乗員の黄さんからもOKが出て、我々数人は、そのチベット村へ行くことにした。成都チベットへの前進基地。何があるのか、面白そうだ、行ってみよう。



劉備玄徳、諸葛孔明初め、1700年前の三国志の時代を満喫した。
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しかし、もうちょっと勉強してやってくればよかったか・・
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武候祠前には、人目を惹く巨石の標識がある。
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武候祠、色々と思い出に残る史跡だった。
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さて、これからチベット街へ行ってみよう。
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