ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(28)モンテの砦。

聖母教会の直ぐ隣にはマカオを守った砦跡がある。
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砦ができて約400年。この巨木はそれ以前からこの場所に自生していたに違いない。
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ガジュマルのように房が沢山垂れ下がっている。モラエスもきっとこのジョモクを眺めたに違いない。
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砦に続く道は、今は観光用に整備されている。
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山の斜面を利用した強固な砦のようだ。
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聖母教会(MATER DEI・MADRE DE DEUS)に隣接して、小高い丘がある。そこは以前この丘にマカオを守る城砦が作られていて、「モンテの砦」と呼ばれている。「モンテ」。ケチャップのDelmonteの「MONTE」と同じで、英語のMountain、山を意味している。日本で言うところの「山城」だ。聖母教会でザビエルの足跡を求め、次にこの城砦にモラエスの足跡を訪ねる。

砦を守る石組は日本の山城と同じようで、きちんとしていて、強固なものだ。大砲の玉、1発2発飛んできても、びくともしないような山の自然の傾斜を利用して頑丈に作られている。モラエスマカオ港湾司令長官として、この砦で守備隊を指揮していたのだ。今から100数十年前、日清戦争勃発の頃で、中立国ポルトガルとしても、目に見えぬ形で戦争の影響を受けていたであろう。既に近代戦は前世紀より始まっていて、この城砦の近代化は急務であった。モラエスは港湾司令長官として来日し、日清戦争に撃ち勝った日本製の大砲を求めてきた。アジアでいち早く近代化した日本の技術力は群を抜いていて、独仏英国製に勝るとも劣らなkatta.


この砦が何時の頃からか役割を終え、今のような単なる観光施設 になったのかは知らない。日本のお城と同じで、今はこの街の観光名所になっている。石垣を覆う巨大な樹木。樹齢は何年になるだろうか・・。南方の樹木は成長が早いと言われているが、この砦が出来る以前からこの場所に自生していたに違いない。ガジュマルのように珍しい房、これは空中に垂れ下がる根っこの一部とも言われているが、飾りのように枝から垂れ下がっている。この城砦に着任したモラエスもきっと眺めたに違いない。南方の樹木だから、ポルトガルには自生していないが、彼は前任地のモザンビーク、或いはゴア等で、既に見ている筈で、再びここでこの南方の大木を見て、懐かしさを感じたに違いない。彼は軍人であると共に作家であり、詩人でもあった。



石組も日本の城同様にしっかりしている。
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港に向かって旧式大砲が設置されていた。
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ああ、何かプレートが掛かっている。
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日本語の案内文も出ている。このは「モンテの砦」との事。そうか・・、日本で言えば「山城」だ。
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さて、砦の中に入ってみよう。
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