ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(75)博物館の中のロボット。

展示室は、武具の短弓の跡は馬具の展示だ。これは鐙のようだ。
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馬車のsつなぎ部分。車と同じで、多様な部品がつかわれている。
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あ、ロボットがやってきた。
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へー、ロボット解説とは! 中国は進んでいる!
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日本の博物館の中で、ロボットなど見た湖とはなかったが・・。
この程度のものなら、日本でもできそうなものだが・・。セクショナリズムが邪魔をしているのか・・
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これ等も又馬か馬車に使用されていたパーツか・・
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これらは祭器か・・
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中国では昔から南船北馬と言って、北の方の黄河流域の主要な交通手段は馬で、南の揚子江流域は船が主要なものとなっていた。奈良朝時代、日本からの遣唐使も、先ずは寧波の港に着いて、その後の国内移動は、大運河を遡って揚州まで行き、更に船を乗り継ぎ、洛陽、長安と上って行った。これは正に皇太子殿下の研究目的である「運河による舟運」に他ならず、中国では隋の煬帝が大運河を開削して以来の揚子江流域の主要な移動手段になった。

が、一方で中国は大陸国家で、騎馬民族の国。広大な距離を移動したり、運河の無い地域は馬に頼らざるを得なかった。で、この国では騎馬、馬車は古来より身近な存在だった。以前西安始皇帝を祀る兵馬俑で、金メッキを施された壮麗な四頭立て馬車(複製)を見たが、この国では既に紀元前からそうした現代の駐日大使親任式に使用されるよな豪華な馬車も作られていたのだ。

この博物館では、武具の飛び道具、即ち短弓の次に展示されているのは、馬具であり、中国民族にとってこの二つ、馬と武器は文字や印鑑に次ぐ重要な文化遺産なのだろう。丁寧に馬車の解説文まで展示され、それに使用される数多くの部品名までも解説されていた。この馬車がいつの時代の発掘かは分からないが、先程の家系図で中山王家が漢代と出ていたので、秦の始皇帝よりも古い時代のものかも知れない。

発掘品を眺めていると、突然、甲高い子供のような声で、子供の背丈程のものが、右手のコーナーを回ってやって来る。最初のうちは何のことか分からなかったが、近づいてくると、それは軌道上を動いてくるロボットと分かった。えー! 博物館にロボットの案内人! 進んでいるウウ、中国は! 日本のどこかの博物館にも似たようなロボットを置いてあるかも知れないが、自分は博物館の中で展示品を解説するロボットを見たのは、初めてだった。

ロボット解説と言っても、それは殆ど原始的なもので、床に敷かれたレールの上を、2つのコーナーを回って、凡そ15m程の距離を行ったり来たりしているだけで、時々展示品の前に止まっては、その展示物の解説をしているだけで、参観者の質問に答えたり、中国語以外のバイリンガルで解説をするようなものではなかった。日本の技術をもってすれば、それ等の複雑な運動や説明はいとも簡単にできると思うのだが、原始的とは言え、又々中国に一歩先を越された。日本の縄張り主義、役所主義が邪魔をしているのか、中国の新進摂取の勢いに、又々押される気持ちで、そのロボットの動きを見ていた。



いや、燭台か??
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ああ、銅鏡だ。
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日本でも数多く発掘されてる銅鏡。文字・印鑑・武具・馬具・祭器と来て、漸く人々のおしゃれの文化に入ってきた。
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銅鏡を鏡として使用していた見台などもある。
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これは貨幣か??
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何の飾りだろう・・
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ああ、生活雑器おコーナーになってきた。
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