ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(83)王のミイラと金印。

最後にやってきたのは、王のミイラの部屋。
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これは復元された棺だ。奇妙な模様と彩色。
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かなり大きな棺だ。
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ミイラはこのような状態で発掘された。
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展示室の状況。
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それにしても大きなミイラだ。
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ミイラはこうshた玉器や沢山の宝石で飾られていた。
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さてこれからいよいよ王のミイラが展示してあるへ部屋になる。先ず最初に目に着いたのは大きな棺だ。これは復元、複製された棺だが、極彩色な模様が描かれている。これも又黄泉の国の魔物除けになっているのだろうか。単に飾りとも思えない。エジプトや日本の古墳の場合は石棺と思うが、ここ中国では木棺だ。尤も日本でも平泉の金色堂のミイラは木棺に納められているので、一概には言えないか・・。

かなり大きな棺桶で、王、それは南越王文帝に他ならないが、身長の高い、画体の大きな人だったのか・・。それとも防腐の為に何等かの薬剤を塗布され、更に布でぐるぐる巻きにされ、更にその上に玉器や宝玉、真珠などを分厚く重ねられて、元のサイズよりも何割増しに膨れ上がったからからか・・。そのミイラも又ダミーの複製で、新しいものだが、多分、忠実に復元されているに違いない。日本にも現存するミイラが何体かあって、羽黒山の木食上人など、どれも干からびた感じの、本当に人体のエキスと言った感じのものだが、この文帝王のミイラは、外観しか見えないものの、立派で威厳があり、絶対権力者を印象づけていた。

この部屋の隣はビデオ映像室になっていて、2000年前の時代のミイラの作り方、どれ程の財宝を費やしたかの説明、富の象徴、価値の高さ、等々、余すところなく情報開示、PRに勤めていた。中国特有の事大主義、過大な自己宣伝とも思えない教育的な内用だった。博物館の順路表示に従って、中山王から始まって、最後に南越王のミイラまで巡ってきたが、充分、内容の濃いものだった。



甚だしい数の宝玉が出土したという。
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その当時から真珠は珍宝されていた。
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中国語では真珠のことを珍珠と言う。
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王権の象徴、金印。
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金印も又副葬品で発見された。
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隣の映像室では、ビデオを放映。
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順序だった説明で分かりやすかった。
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