ちゃおチャオブログ

日々の連続

薩摩・大隅の旅(31)霧島の夕暮れ。

霧島神宮社殿前の大楠を眺めるが、記憶に全く残っていない。
イメージ 1



最後にもう一度参拝し、宮を離れる。
イメージ 2



今度来るとき、三度目にはしっかり記憶に刻まれているだろう。
イメージ 3



鳥居の横の天孫降臨の碑。
イメージ 4



徳富蘇峰が跋文など書いている。
イメージ 5



招霊木、何の木だろう・・
イメージ 6




記憶などたわいないもので、10数年前、この神宮へ初めて来た時に受けた感動は今は大分薄れ、それは二度目の訪問だからやむを得ないものと諦めも付いたが、しかし、それにしても社殿以外のその他の詳細についても殆ど記憶の中にない。先刻来た時の夕日に染まった長い参道なども、果たして以前この様な山道を歩いたのか、という程度のおぼろげなものだ。境内の大楠をしげしげ眺めるが、殆ど記憶に残っていなかった。記憶を焼き付けると言っても、当てにならないものだが、それでも、大鳥居から最後にもう一度社殿に参拝し、宮を後にした。

車寄せの辺りには天孫降臨の石碑があったり、徳富蘇峰の跋文などもあったが、以前には全く気が付かなかった。この周辺は霧島温泉郷と言って、温泉で有名な場所だが、駐車場の手前には源泉の湧き出る池などもあったが、この15年の間に増築されたのか・・。或いは源泉が噴き出て、急造で池でも造ったのか・・。ここ数年円安で外人観光客も増えているので、そうした外人客には好評だろう。

大鳥居の前方には高台の上に造られた展望台がある。この時間でもまだ猶数人の参拝者、観光客がテラスの上から景色を眺め、写真を撮って談笑している。夕暮れの最期の余韻を楽しんでいるようだ。高台からの眺めは抜群だ。薩摩平野がずっと先の海に向かってなだらかに落ちていく。夕暮れに沈む平野。明かりの塊は町か集落か。その先ひときわ赤く燃えている山がある。桜島だ。薩摩の人々の心の山。朝も昼も夕方も。火を噴いていれば、夜まで赤く見えていた。裸の王様、山下清がこの町へやって来た時、桜島は火を上げていた。彼の好きな花火と火山。彼もこの宮の高台の展望台から花火のような噴火を眺め、徒士足踏んで喜んだに違いない。



各神社では磐座などを見かけるが、ここの憑代は木になっている。珍しい。
イメージ 7



駐車場の手前には源泉の池などもある。・・以前はこんな温泉池などなかったと思うが・・
イメージ 8


      
展望台から薩摩平野を眺める。
イメージ 9




夕暮れに沈んでいくなだらかな平原。
イメージ 10




桜島がくっきりと浮かんでいる。
イメージ 11




朝ホテルの8階から眺め、フェリーで目前を通り、今また夕暮れに燃える山を見る。薩摩人の心の山だ。
イメージ 12