ちゃおチャオブログ

日々の連続

6.18.(月・時々小雨)大阪地震、不運な小学生。

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高山右近は秀吉配下の戦国大名で、キリシタン大名でもあった。豊臣の世から徳川になり、キリシタン禁教令が発布され、ルソン、今のフィリピンのマニラに追放された。マニラのペドロの丘、ペドロギルには侍姿の右近像が建っている。その右近が追放前まで城主だった高槻。今朝の8時前、朝の連ドラが始まる直前に大阪北部を震度6地震が襲った。直下型でかなり揺れ、交通インフラ、電力、水道等が破損したが、幸いに倒壊家屋は無く、犠牲者も数名に留まった。
そんな中で、高槻市の小学3年生の児童が、登校途中に自校のプールのブロック塀の倒壊により犠牲になった。僅か9歳の命。多くの人の涙を誘っている。
不運だったのは、いつもはもっと遅くに自宅を出るのだが、この日は学級委員で、校門で登校生を迎える役目があって、いつもよりも早目に自宅を出た。そして学校のプール脇の通学路を歩いていた丁度その時地震が襲来し、プールを覆うブロック塀が倒れ、その下敷きとなって亡くなった。ほんの数分ここを通る時間が早いか遅いかで、巻き込まれることもなかった。当日、校門の迎えもなく、普通の時間に自宅を出ていれば、全く巻き込まれることもなかった。偶然とは言え、全く不運な偶然だった。
9歳の児童は宿命だったのか・・、人間には避けることのできない定めなのか、自分には分からない。ただ言えるのは、ほんの一瞬で人の帰趨を左右するということだ。
数年前、中央高速道で起きた天井崩落事故。丁度天井が落下した時、その前後には数台の車が走行中だったが、被害にあったバンのみが潰された。そのバンには複数の乗員がいたが、その車内で亡くなった人と生き延びた人の運命が分かれた。そもそもそのバンがトンネルに入る前のどこか信号で信号待ちをしたとか、走行中のスピードが時速100キロとか80キロとかで、巻き込まれることは避けられたかも知れない。しかし、事故に遭うその時まで、誰も予見できるものではなかった。
運命の帰趨、予見不能の運命。そういう定めだったとしても、犠牲になった9歳児の冥福を祈るしかない。




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