ちゃおチャオブログ

日々の連続

イギリスの3日間(23)王墓の副葬品。

エジプト王墓からは数々の副葬品が出土している。
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こんなものまで王墓から出ていたのか・・。それともエジプトとは関係ない場所からの発掘品か・・
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何か北欧的なイメージもあるが・・。後世、バイキングはこの地までやってきていたのだろう・・。
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ああ、これは玉石で造られた鳥だ。
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The Third Eye.この旅行の後になるが、ネパールへ行った時、同じような目を見た。
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あれはいつの頃だったのか・・。中学生か高校生か・・。ツタンカーメンが最初に日本にやってきて、上野の博物館で「ミイラ展」が開かれたのは・。当時自分は静岡に住んでいて、東京に住む兄に連れられて見に行った。18歳で亡くなった少年王ツタンカーメン。18金の鈍色の金のマスクが薄暗い部屋の中央に、その部分だけ照明が当てられ展示されていた。5000年前の少年王。端正な顔立ちだ。現代のヨーロッパ人と変わらない。

5000年前の埋葬品が、全く綻びもせず、今こうして目の前に見られることに感激した。近くに干物のように干からびたミイラも展示してあったが、それは気持ち悪い異体を見る思いだった。いずれにしてもこの時、古代エジプト王国の高度に文明化した繁栄に驚いた。後年、日本の古墳の副葬品など知ることになるが、精々埴輪とか勾玉、首飾り程度のもので、エジプトの豪華さに比べたら、全くの比較外だった。尤も現在に至るも天皇陵が開掘されていないので、中に一体どれ程の宝玉が埋葬されているのかは不明だが・。

それから数年後、エジプトを旅行することになり、カイロ博物館にも行ったが、照明の薄暗い館内には目ぼしい展示品はなく、足早に館内を回った記憶しかないのだが、今こうして大英博物館を回っていると、エジプトで出土した主要な骨董品は大半、ここへ運ばれてきていたに違いない。今現在英国・エジプト間にこれ等遺跡品の帰属論争も激しく、既に一部はエジプトに返還されているので、今はカイロ博物館も相当に充実しているに違いない。

それにしてもこの大英博物館の展示方法がよく分からない。何らかのルールがあって陳列されていると思うのだが、ミイラや王墓からの副葬品の直ぐ隣には、どうみても古代エジプトとは関係なさそうなもっと時代の新しい、西欧的な遺跡品も並べられていて、こうして見ていると日本語ガイダンスがあれば、助かったと思った。尤も、ガイダンスがあったとしても、鑑賞時間が短く、それ等解説を聞く暇もなかっただろう。矢張りここももう一度やってきて、その時は一人で、十分時間を取って、思いのままに鑑賞、堪能すべきだろう。



朽ちた木棺も発掘されている。
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誰のものか・・、しゃれこうべ
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現代のファッションにも通じる首飾り。
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ゲームのようだ・・。
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昔のオセロゲームの原形のようなものか・・。
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