ちゃおチャオブログ

日々の連続

The Third Eye カトマンズへの道(34)カトマンズで出会った日本美人。

パタンの商店街の外れで漸く一台のタクシーを捕まえ、他の客と同乗して、カトマンズへ戻る。この川はカトマンズとパタンの境になっている川の橋だ。
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ホテルで少し一休みしてから、夕食の為に外にでる。この右手のHolly Lodgeという店が静かそうで、良さそうだ。
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先ずはビールで、食事を考える。と言っても、料理名は分からないが・・。
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と、若い女性が日本語で話しかけてきて、自分も日本人だという。
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古都パタンの歴史地区を回り、全く偶然にタイの二人のBeautyに会うことが出来、少しばかり話もできて、ひとまずこの町からカトマンズに戻ることにした。歴史地区のタクシー乗り場には数台のタクシーが客待ちしているのだが、カトマンズ行きの料金を聞くと、皆倍以上の値段を言ってくる。どのタクシーも500ルピーではNoだ。雲助とまでは言わないが、バブルの頃の日本で、値段は格段に違うのだが、夜の銀座などで乗車拒否に遭ったようなものだ。彼等も生活がかかっている。外人観光客と見れば、通常料金の倍以上をふっかけないと、パタンで長い時間客待ちしていた意味がない。

止む無く、ここでタクシーに乗るのを諦めて、パタンの商店街まで出る。歴史地区から隣り合わせで通りが続いているが、日本と違って流しのタクシーが頻繁に走っている訳ではない。たまに通り過ぎると、客が乗っていて、止まらずそのまま行ってしまう。皆歴史地区へ向かっているようだ。客を下ろして空で戻って来るタクシーを待っても中々戻ってこない。皆先刻のタクシー乗り場で、カトマンズには空で戻らず、新たな客待ちをしているのだろう。500m程の商店街を歩きながらタクシーが来るのを待つが、結局、商店街が途切れる広場まで出てきてしまった。ここで暫くタクシーを待つことにした。が、中々空車がやってこない。

漸く1台止まって、運転手が窓を開けてどこへ行くんだ、と聞いてい来る。見ると中に客が乗っている。カトマンズへ戻るのだが、ここで待っているから、客を下ろしたら戻って来てくれ、と言うと、運転手はいいから一緒に乗って行け、と助手席のドアを開けてくれる。まあ、ここで来るか来ないか分からないタクシーを待っているよりは、一緒に乗って行った方がよいかと、同乗する。タクシーは暫く街中をくるくる回り、漸く客の指定する場所に来て、客を下ろし、漸くカトマンズに向かって走り出す。タクシーに乗って気が付いたが、このパタン、かなり人口の多い街で、路地も入り組んでいる。後で気が付いたが、何のことは無い、歴史地区の周辺をぐるぐる回っていたのだ。

一旦ホテルで一休みし、夕食へ出る。一体、ネパール料理というものがあるのかないのか知らないが、余りぱっとした料理は食べていなかった。この国に骨董文化がまだ根付いていないように、グルメ、料理文化もまだしだろう。余り騒がしそうな店は避けて、Holly Lodgeという看板のある店が静かそうなので、ここでこの国最後の夕食を摂ることにした。店内は薄暗く、奥の方で数人がひそひそ食事をしている。若い女性に二人の若者。女性はネパール人にしては随分と垢抜けた感じだ。自分がテーブル席に座ると、その女性が立ちあがってきて、日本語で「日本人ですか?」と聞いて来る。「え! あ! そうそうそうです、日本人ですが・・。」と答えるも、随分上手な日本語を話す女性もいるものだなあ、と内心驚いていると、彼女、自分から「私も日本人です。」と言ってきた。えー! こんなカトマンズと言う辺鄙な国で、日本の女性が働いている。驚きと同時に感激した。

彼女は高知出身のミカン農家の娘さんで、戦前の有名な外交官と同じ名前なのだが、この国が好きで以前数回やってきて、今ではカトマンズに住み着いているとのこと。このHolly Lodgeがホテル兼用のレストランで、ここで働いているが、時々日本人の客もやってくるとのこと。まだ30前の今どきの女性にしては随分しっかりした考えの大和なでしこ。このような日本女性に会えて、嬉しくなった。自分達が日本語で話している間に、先のネパール人若者も帰ってしまったが、当方、数日来お腹の調子が悪く、ビールも余り飲めない。本当は彼女を相手に久しぶりの日本語で、大いに飲みたい処だが、実に残念だ。

好事魔多し、ではないが、こんな場所で偶然に日本美女に会えるとは!日中は古都パタンの歴史地区でタイ美人に出会って、夜は又偶然にも日本の美人に出会うことができた。しかもこのカトマンズ最後の夜に。ただ残念なのは自分のお腹の調子で、何枚か記念の写真を撮って、又カトマンズにやってくると約し、レストランを後にした。



何が美味しいかも分からないので、彼女に選んでもらう。
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いやー、ネパール最後の食事。モモも一緒に付いてきた。
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お腹の調子が悪く、余り飲めず、記念の写真だけ撮って、レストランを後にする。
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彼女は高知のミカン農家のお嬢さん。戦前の有名な外交官と同じ名前だ。覚えやすい。今度来る時はお腹の調子を整え、再訪する旨伝え、店を後にした。カトマンズ最後の夜として、実に思い出深い出会いだった。
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