ちゃおチャオブログ

日々の連続

能登の春(16)市姫神社にお参りし、総持寺祖院へ。

地元の古老に聞いて、漸く探し当てた市姫神社は、いちき駐車場の外れの方にあった。
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社伝を読むと、市杵島姫を祀る神社とのこと。
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この神社には社は挽臼となっている。
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古くはこの地方で、白毛索麺の生産が盛んで、それに感謝し、挽臼をご祭神としている、とのこと。
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輪島の沖合凡そ50キロ位の場所に舳倉島があり、その島には宗像三女伸の長女、田心(田紀理、たぎり)姫を祀る沖津宮、沖津比輪島の沖合凡そ50キロ位の場所に舳倉島があり、その島には宗像三女伸の長女、田心(田紀理、たぎり)姫を祀る沖津宮、沖津比咩(姫)神社がある。この市姫神社に掲げられた社伝を読むと、ここに祀られているのは市杵(いちき)島姫命とある。宗像三女伸の末女に当たる神で、宗像大社辺津宮の御祭神でもある。

又、社伝では古く大和時代より鳳至比古神社(住吉神社)の祭日には、ここで市が開かれ、歴史学者の説によれば、日本で最初に開かれた市、とのことである。そうした関係からか、ここでは市姫神社を「いちひめ」と呼んでいるが、自分はこの社伝を読んでも尚宗像との関連より「いちき」と呼ぶのが正しいのではないかと思っている。

この神社の場所を探す際に地元の古老に「いちき神社はどこですか?」と聞いたら、その古老は「ああ、いちひめですね。」と答え、併せてその古老から「地元の人より、他所から来た人のほうが詳しい」などと、微笑みされるような暖かな眼差しで見られた。確かにこれ程小さな社、地元の人でも相当もの好きでないと、ここまでやって来ないだろう。金沢の近江市場とか京都の中央市場にも同じ名前の市姫(市比売)神社があり、又全国にも同じ名前の神社が散在しているが、その関連を調べたら、案外面白い歴史の断片が見えてくるかも知れない。

社伝にも書いてあったが、ここには祠がなく、代わりに挽臼が置かれている。この地は中世より白毛索麺の大産地であり、輪島はそれにより発展したとのことである。白毛索麺がどんな麺なのかは自分には分からないが、多分今でも流通している白髪素麺のようなものだろう。その輪島の発展に寄与した素麺に感謝し、輪島の人々はこの神社の祭神を挽臼とし、境内の塀とかあちこち、石臼、挽臼がデザインのように置かれてる。市杵島姫もさぞや喜んでいるだろう。

挽臼の社に二礼三礼し、バス停に戻り暫くすると金沢行のバスがやってきた。このバス停からは自分一人が乗り、輪島駅で二人乗り、合計3人が空港で降りた。その後バスは羽田からやってきた客を何人か乗せ、金沢に向かって走っていくのだろう。自分は、ここで予約してあった日産のレンタカーを借り、今日から二日間、能登半島を巡るのだ。先ずは最初に総持寺祖院へ向かってみよう。



この神社が日本の市、市場の発祥の地、との学者の説である。
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バス停、マリンタウンへ戻る途中の埋め立て地の状況。新港が出来ても、船はやってこない。
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人工過疎地での大いなるインフラ整備であるが、このまま立ち枯れにならなければ良いが・・。
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バスで能登空港へ行き、そこでレンタカーを借りて、最初の訪問地となる総持寺祖院。右手の白壁は県立門前高校だ。
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